Land of Riches
Index|Before|After
2002年08月02日(金) |
そして歯車は止まらない |
http://www.jfa.or.jp/CGI/top/top.cgi?key=pick&0=1341 SBSカップに出場するU-19です。大熊監督です。辞退者は出るのでしょうか?
正直、このチーム自体に対する思い入れはゼロにも等しいのですが、 一人だけ…かなりの勢いでプレーが見たい(苦笑)選手がいるのです。 最愛の人から脈々と続く“類似”の系譜に連なった―同じまったりオーラを 放っている―らしい、今となっては唯一となった志波JAPAN(2年前の 新潟国際に出ていたU-17ユース選抜のこと)の生き残り―永田充さん@レイソル。
あと中盤に数名「見てみてもいい(面白そう)かな?」という選手がいるぐらいで、 これで藤枝まで行くモチベーションとしてはどうなのかとは思うのですが、 やはりU-19のDFライン(近藤・永田・大井、なのかな?)をこの目で見ないことには 語ったり、ましてや“何か”と比べたりする資格はないと思うのです。
永田さんの持ち味はフィードだそうですが(ここは“誰か”とは全然似てませんね) 3試合分のメモに一度も登場しなかったというすごい第一印象の新潟国際といい、 ヒガシが負けて放心に近い状態で眺めた今年の選手権での静学といい、 フィードに優れるという印象は皆無です。いや、それ以前の問題として、 サッカープレーヤーとしてのイメージ(像)がありません。
そもそも、2年前の新潟国際は辰徳さんonlyで行ったので、他の選手の印象が ほとんどないのですけれど(思い出せるのは…最初の新潟選抜戦で 「超」素晴らしきファンタジスタだった荒木さん@トップ下、サイドの川端さん、 ごちゃごちゃになっていて区別がつかないのですがゴールがそれなりに 記憶にある小原&山岸のツートップ、蒲原さんのドリブル、そんなところ) あの時の3バックは「松本・永田・角田」という、今思えば何故見てなかったのだろう(苦笑)という 組み合わせで、これ及び現在のU-19で永田さんが中央にいるという事実を 一体どう解釈したらいいのか(U-19の主将はどういうシステムになっているんだろう? 手元にある集合写真では今野さんが巻いてますけど)とさえ思ってしまいます。
松本&角田@U-17時代は、揃って対人に強かったような覚えがあります。 (今持っている知識だと松本さんの方が強そうだけど、記憶の中では程度の差はない) 当時、既に角田さんは驚異的コーチングでマニアの間では有名人でしたが、 代表では普段の何分の一も声を出してない、そんな会話をしていたような気がします。 (もちろん話をしているのはマニアさんたちで、私は聞いて勉強するだけ)
そんなU-17のビデオの存在を思い出して、発掘しました。怖くて見られません。 この大会の(辰徳さんonly)レポートは、絶対に書くと誓った代物で、 たとえ書けなくなってしまったとしても、フランスと同様、記憶の塗り替えを 拒絶すべく、半永久に鑑賞禁止指定になると思われます(だから貸しますよ、未練なく(私信))
残念ながら、と言うべきなんでしょうか、少なからぬ人の心に陰を落としたまま U-19はワールドユース予選(アジアユースとは呼んではいけないのですね(苦笑))へ 挑むのでしょう。代表監督には選手を選ぶ権利があります。プロセスに基づいて。 Jで結果を出せば無条件で呼ばれるものではないことぐらい知っています。 私だって、だてに西村JAPANを追い掛け回していたわけではありません。 (分かりやすい例は…ベストエレガントプレーヤー@ツーロンさんかな…)
このU-19とU-21(なんか違う意味で注目を集めそうで鬱だ…新体制の初戦って…)が 合流して初めてアテネ五輪代表は始動するのだと思っていますし、そこへ一人でも多く 贔屓選手が選ばれるのを願う一方、18人登録の上、オーバーエイジ枠のある 本大会へ出場することは、ある意味でワールドユースよりもワールドカップよりも 困難だと言うのも理解してます。アジア大会のオーバーエイジは見送りだそうですが。
すなわち、代表は、サッカーの実力のみならず、異なる意味でも“選ばれた”存在のみが ユニフォームの着用を許される集団であり、贔屓の選手が、たとえ強化の一環にしかすぎない 小さな大会だとしても、選ばれたなら、駆けつけたいと感じるのは自然でしょう。
世界への道は細く長くうねりまくった上に険しい…。
2002.8.3wrote
|