Land of Riches
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今ふと日刊のサイトを見に行ったら、パンチョ伊東さんが亡くなられたという記事が。 数多くの日本人選手がメジャーに渡った現在でも、疎い私ではありますが、 プロNなどで大好きなメジャーについて嬉々として話していらっしゃった姿を もう見られないかと思うと寂しいです。天国でメジャー観戦楽しんで下さい。合掌。
今日はこれについて書かないといけないのかな―NHKニュース10のミョンボ様。 番組冒頭での紹介で「こんばんは」と「ありがとうございます」(要するに日本語)を 口にした時は、マジかよ(韓国人Jリーガーはヒーローインタビューなどでは たとえ日本語堪能でも必ずハングルで話すそうです。理由は映像が韓国国内で 流れる可能性があるから。なぜこれが理由かはご想像にお任せします)と思いましたが、 インタビュー本番では同時通訳付きでした。しかもチュックを訳し忘れる現地人(苦笑) (ちなみに「チュック」はハングルで「サッカー」のこと。また一つ賢くなったかも) 総じて“無難”な印象(*こと取材に関しては、非常に頭の切れる*ミョンボ様だから 核心を突いても絶対に波風たたない“回答”をすると思うのですよ。まあNHKに 期待するのは無理がありますけど)でした。顔付きも相変わらずだし。 ただ、髪の色がちょっと茶色くなっていたような気がするのは私だけ???
スペイン戦での破顔一笑では、関係者に“スタジアムであんなに笑うのは初めて見た”なる 評価を頂戴したというあたりが、しいて言えば新着情報かな? ミョンボ様のサッカー歴は 高麗大学(くれくれで申し訳ないんですが、どなたか、5月中旬に出たという 「ホンミョンボ物語」が掲載された週刊少年マガジンお持ちでないですか? 非常に読みたいです。なんでも韓国の超学歴サッカーを描いているとか…)→ 浦項製鉄(この間に兵役やらブンデスリーガ断念やらが起きたと推察)→平塚→ 柏→浦項となってますけど、J時代はともかく、浦項でタイトルとか獲ったこと ないんでしょうかね? レイソルでは優勝できなかった(鹿が最後に勝ったあれ)のを 相当悔しがっていたそうですが…。代表もいいけど、普通に浦項でプレーするミョンボ様、 見てみたいかも。私の中でのKリーグって、芝が茶色とか非常に失礼なイメージなんですが(殴)
もう何度も書いてますけど、彼が“アジアのリベロ”であることは、彼が日本に来るなんて 想像もつかなかった頃(ちなみに井原さんは“アジアの壁”。攻撃参加を比較すべし)から 知ってますし、Jでの貢献も分かってますが、今大会は母国に戻り、母国の代表として、 つまり韓国人として闘うミョンボ様、そんな一面をまざまざと見せ付けられた気がします。 それはプレーだったりコメントだったり、あまり触れたくないんですが、 日本人には理解不能の行動(もうここまでぼかさないと書けないのか、私)だったり、 今夜のインタビューでも、自国の熱狂的な応援に対する返答として、 韓国という国家のためにプレーするという、間違いなく日本代表23人の誰一人として 持ち得ない観念を挙げていて、この人は異文化―それは日本文化と相容れない性質を持つ―の 中で生きている人なんだな、と強く感じさせられました、改めて。ダメ押しで。
ネットでもいろんな意見を見かけましたが、彼の思考パターンが私の想像と ずれていたといってサッカー選手としての彼の(私の中での)評価を下げるつもりはないし、 現に、何度頭がくらくらしても(苦笑)LRではミョンボ「様」でずっと通してます。 (どうでもいいけど、NHK、ミョンボ様はれっきとした現役選手なのだから 「さん」付けテロップは勘弁してほしかったです。ホント) やっぱり韓国サッカーの英雄である彼は今後も韓国サッカーのために生きてほしいし、 そのためにヨーロッパへ行く決意まで固めているのなら、日本で見せた顔―差異を 差異と認める、受け入れることぐらいは…まあ大丈夫だと思いますけど。 今回の韓国代表を率いたのはオランダ人のヒディンク監督でもありますしね。
…ちなみにミョンボ様の言葉で聞き取れたのは最後の「カムサハムニダ」だけ(笑)。 中1レベルですね。韓国への道は遠い(遠い目)<カムサハムニダ=ありがとう
最後に余談。今日届いた携帯メールに「G中山」というのがあって、これを見て 「ゴン中山」ではなく「ガンバの中山」を真っ先に想像した私は、まだまだ “彼ら”(どう表現したら私の気持ちをうまく表したことになるのか分かりません。 1981・1982年生まれの選手たちのことですが)から離れられないんだ、と痛感しました。
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