Land of Riches
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2001年05月28日(月) |
4 years ago |
“植物物語”の桃のボディソープで洗ったから、ポンちゃんからその香りがほんのりと…。
松本連休(…)2日目も自宅で陰鬱な気分に悩まされつつ、のんびり過ごしています。 いよいよ鬱ゆえのナーバスささえ壊れてきたようで、昔のビデオは見られないと言っていたくせに この二日間はAshLynxのライブビデオ(これが何なのか分かる読者がどれだけいるのか…)やら フランス最終予選の激闘録(既製品)を見ています。ぼんやり、ぼんやりと。 …最後には耐えられなくなって途中で消してしまうのですが。
4年の月日はあまりに長すぎて―今追い掛け回しているU-20の面々は当時中学生―私の忌み嫌う 時間の流れを知覚しないわけにいかなくて、Kさんがこの前言っていた「人間はずっと成長していく」は やはり肯定できないものの、変化していくのは間違いないと認識せざるを得ません。 前進・後退だけでなく…空間にはX軸とY軸以外にZ軸もあるから、どちらへ向かうかは分かりませんが。
サッカーの試合で悔し涙にくれたのが3回: その最終予選の日韓戦、78回選手権での東福岡vs市船、そして先日のグランパスvsアントラーズ。
サッカーの試合で興奮のあまり鳥肌が立ったのが2回: トゥールーズのアルゼンチン戦試合前にFIFA ANTHEMを聞いた時と、 その年(1998年)の終わりの天皇杯準々決勝@仙台で本山さんが投入された時の本山コール。
ビデオを見ていても、当時は鮮明に覚えていたプレーの一つ一つが、記憶から消却されているのが分かります。 しかし、忘れられないのは memory ではなく感触―国立全体が代表をサポートする、異様な雰囲気。 試合の90分間だけでなく、その前の泊まり込みから始まる、逸脱した空間にいた経験。
その空気に触れた肌が、あの興奮を恋しがって…それでサッカーファンを続けてもう何年になるでしょう。
代表戦を見るたびつまらないと思ってしまうのは、進歩なのでしょうか? 初期のJの試合を見返すと、スピードやテクニックを高めた“代償”として 熱情を失ったかのごとく見えるように、あの頃と今とでは代表に求めるものが違うと…“高まった”と。
一つ一つのプレーに対する熱すぎる思い入れ…当時の私にとってそれは「相馬のオーバーラップ」でしたが。 いまだ試合を見る際の視野が狭いと自他共に認める私ですが、この頃よりは広がっているはずです。 あの当時は…名波&相馬コンビが全てだった気がします。実際、あの二人は生命線だったのですが。
結論からすれば、記憶が…“経験”が色褪せているのを見とめざるをえないビデオなど 見ない方が良かったのかもしれません。ただ、“体験”は身体に染みついているけれど。
1995年、何気なく見ていた代表戦で見かけた“茶髪の青年”からサッカーにのめりこんでいきました。 1996年、ホームシックから逃げ出した先の鹿嶋で触れた“人情”でアントラーズを応援すると決めました。 1997年、インターネットで知り合ったメンバーがいたから激闘を通して喜怒哀楽を味わえました。 1998年、フランスで抜け落ちた心にすっと染み込んできたのは“光の化身”のスマートなプレーでした。 1999年、人の間で生きるのがヒトだという“彼”に導かれるまま、その仲間や後輩たちを追い掛けました。 2000年、待ち焦がれた復活の舞台で出会ったのは、どこか淡い輪郭のかわいい“犬”でした。 2001年、自分の目で見たものこそ真実だと教えてくれた“彼”と仲間たちの世界挑戦を………。
そして2002年…遠い遠い場所だったワールドカップが、この国にやってくるのです。 更にその先も、サッカーの世界は続いて、きっと広がっていく…アタシハドコヘイクンダロウ?
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