anxious for Heaven鳥かごなんて、最初からなかった。 |
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2005年09月04日(日) | 私信に近い日記。 |
この日記に頻出する日記作者であるチャボさんとのメッセ。 その中で思いを新たにしたこと。 そうね、認めるべきではないかも、って考えもあると思うのよ。 だけどね、やっぱり認めなくちゃって思うんだよ。 認めるとは、私の中では信じることとイコールではなくてね。 だってね、やっぱり卑怯だと思うの。 知らない。覚えてない。私は悪くない。 そうやって逃げることは卑怯だと思うの。 認めていても逃げる人もいる。 私が意識して行動した結果じゃない。私は悪くない。 そうやって逃げる人も確かにいるよ。 だから、認める認めないの違いが一概に 逃避するか否かには繋がらないかもしれない。 だけど、なんて言えば良いんだろう。 不可解なまま、納得できないまま、立ち向かうフリなんて出来なくて それをするくらいなら、不条理であっても、通常の理解の範疇でなくても それを認識した上で、きちんと立ち向かいたいなって思うんだよ。 だから他人が信じようと信じまいと、認識しようとしまいと 全然関係なかったりする。 自分の認識を、それも自分のためでしかない認識を 他人に強要しようとは思えないんだもの。 それが自分でこの不条理を認める理由であって 実は、画像や数値はあんまり関係なかったりするの。 それは、認める上での一判断材料に過ぎなくて 本当の理由は、今までの記述の通りなのね。 だからアレだね、どれだろう。 気力や姿勢の問題である、っていうのは否定しない。 それが必ずしも総てではないにしても。 うぅん。 結局、理由が欲しいのかもしれないね。 理由というより、モチベーションに近いかもしれないけど。 自分の状態を認識した上で 『それは逃避の理由にはならない』 『だったらその状態は不利なものにしかならない』 『それが嫌なら意地でも抜け出せ』 そんな状況に自らを追い込みたいんじゃないのかな。 私は。 不利にしかならない、なんて崖っ淵にいたら もう、何が何でも踏張るしかないでしょう。 認めなかったら、きっと、私、逃げちゃうね。 盾にして。 決して強い人間じゃないから。 あと、おかげさまで(何のおかげだ?)最近はそんなことありません。 滅多に。決してゼロではないけど。 だけど、完全に脱出は出来ないと言われたし、自分でも思います。 一旦割れたビー玉を、なんとか接着剤で繋げたとしても 目に見えない小さな破片がいくつか欠落しているし 無理な力をかければ、繋ぎ目からまた割れてしまうんです。 割れないように、接着面を強化したり、無理な負担を逸らしたり そういう方法で以て、再び割れるのを防ぐことは出来ても 欠落がある、そしてひびがある以上、完全な球体には戻らない。 だけど限りなく球体に近い状態でいたいから そうあるための可能な限りの努力はするんです。 自分は完全な球体だって思い込んでいたら ふとした拍子に見つかるかもしれない、欠落した破片を 見失ってしまうかもしれないじゃない? ええ。 目を皿の様にして、アンテナ突き出して探してますよ。 破片を。 とりこぼさないように。 好きな人達からの信用、それを一番失いたくないから、ね。 だって、信用に値しないと判断される材料でしかないでしょう。 私に向かって、コイツ信用できねえ、って言いたい人にとっては 最大にして最高の理由になるんだもの。 そんな感じかなぁ。 他の人には、何が何やらわからないであろう予感。 当人たるチャボさんにすら忘れられているかもって不安。 覚えていても、抽象的すぎて指示するものがわからないかもーv まあ、こんな時間に起きてて、暇だったのよっv |
一緒にいられると思ったのは たぶん、間違いじゃない。 |
written by:Kyo Sasaki ☆メール☆ |
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