橋本裕の日記
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2007年10月18日(木) 若狭のアテナイ

 毎年、春、夏、冬と、年に3回青春18切符を買っている。そしてその度に必ず行く場所がある。それは若狭の小浜である。小浜は私が小学生の3年間を過ごしたなつかしい場所だが、私が小浜に行きたくなるのは、ただ幼年時代の思い出をなつかしむためではない。

海と山に囲まれたこの鄙びた港町のたたずまいが、文句なしに好きなのである。この町には巨大なモールがない。だから昔なじみの駄菓子屋や呉服屋、酒屋さんなどが残っている。駅前の商店街も健在だ。そしてたくさんのお寺がある。ここにくると、古きよき日本に出会えたようでほっとできる。

 小浜が古きよき日本のまま残ったのは、ある意味で奇跡的なことである。若狭は「原発銀座」と呼ばれている。いたるところに原発関連施設が林立するなかで、小浜だけが原発、原発関連施設を持たないでいる。

しかし、この町にも原子力発電所が何度か作られそうになった。しかしそのたびに小浜市民は反対運動を組織し建設を阻止した。2004年に行われた市長選でも、反対派の前市長が原子力関連施設誘致推進派の市議だった市長候補に勝利している。

 たしかに原子力関連施設の建設を受け入れば、市の財政は潤い、この余沢は市民にも及ぶだろう。漁業組は巨額の保証金を手に入れることができる。原子力の資金によって小浜の町を作り変え、近代化すするというのも一つの道だが、小浜市民はこれを退けた。

 亡くなった小田実さんはこうした小浜を評価し、小浜には人間にとって何よりも大切な「自由」があるといい、この小さな港町を「若狭のアテナイ」と呼んで愛していた。毎日新聞に連載されたコラム「西雷東騒」(2005年7月26日)にもこう書いている。

<私が若狭の小浜を好み、興味を抱き、さらにその未来に希望をもつのは、人口三万人余の日本海に臨む小都市が自然の美しさと豊かさに恵まれ、歴史ある古刹をあまた持ち(その数百三十だという)、「食のまちづくり」を目指すだけあって食い物も抜群、豊富でうまい―というだけの理由ではない。小浜には敦賀を始めとして他の若狭の都市にはない「自由」があるからだ。どのような自由か――それは原発、あるいは原発関連施設を持たない自由、そこから生まれてくる自由だ>

<この若狭で、ただひとつ、原発、原発関連施設を入れてこなかった都市が小浜だ。小浜は経済の活性化を必要としない都市ではない。しかし、その活性化も、市の未来も、そこに住む市民の未来も、原発、原発関連施設の導入によってつくりだそうとしないで、自然の美しさと豊かさに基づいた「食のまちづくり」でやってのけようとしている>

<この「食のまちづくり」による小浜の未来がどうなるかは未知数だ。しかし、今、小浜には若狭の他の都市にない自由が感じとられるのはたしかな事実として言えることだ。小浜で、原発反対運動の中心人物として活動しているのは、世に知れた古刹・明通寺の住職、中嶌哲演氏だが、過日、私が関西の市民何人かとともに小浜を訪れたとき、彼がキモイリとなって小さな市民集会を開いてくれた。

そのとき私を感服させたのは、そこには彼のような原発反対派とともに、反・反対派の人も来ていて、おたがいが自由に発言していたことだ。これは民主主義社会として当然のことだが、その当然のことが他の若狭の「原発銀座」の諸都市にはないと、これは出席者のひとりが言った。

 私はそこで「若狭のアテナイ」かも知れないと思った。古代アテナイの民主主義を支えたのは、自然の恵みを基本につくり出された社会全体の、またそこで生きる市民の豊かさと、そこにあった自由だった>

http://www.odamakoto.com/jp/Seirai/050726.shtml

小浜に来ると、私は潮風ともにこの自由の雰囲気を呼吸することができる。人々の生活のぬくもりが、どんなに小さな路地にもしみついている。国際経済のグローバル化とは無縁の何百年もつづいた暮らしのゆたかさが、私の心をくつろがせてくれる。そして今は天国にいる小田さんと一緒に、「小浜よ、がんばれ」と応援したくなる。

(今日の一首)

 原発にたよらず生きる港町
 駄菓子屋もあり人のぬくもり


橋本裕 |MAILHomePage

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