橋本裕の日記
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2007年09月21日(金) 子どもを虐待する母親

 いまから2500年あまり前に、お釈迦さんが菩提樹のもとで悟りをひらかれた。そのとき、お釈迦さんが悟ったことは、「世の中のできごとは、様々なことが因となり縁となって、それなりの理由があって生じている」ということだった。お釈迦さんはこうした世の中のしくみを知れば、私たちは人生のさまざまな悩みから解放されると考えた。

 たとえば、子どもを虐待している母親がいた。彼女は些細なことで、自分の気持が抑えきれなくなり、つい子どもに手をだしてしまう。これを止められない。おかげで子どもは母親になつかず、母親の前でいつもおどおどしている。そのいじけた様子が、さらに彼女の怒りを誘う。

 こうした悪循環が親子の間で繰り返され、子どもは青いあざができ、彼女は育児に自信を失い、ノイローゼになってしまった。そこで祖父母の代から昵懇にしている近所の寺の住職に救いを求めた。住職は緊張して正座している彼女にお茶を進めてくつろがせてから、こう切り出した。

「お母様がなくなられて、もう何年になるかな」
「四年になります。その節はお世話になりました」
「たしか、ご病気で」
「はい。私が家で看護して大切に見取りました」
「たいへんだった」
「自分でもよく尽くしたと思っています」

しかし、その頃から子どもに対する虐待が始まっていた。母親が死んでから、この虐待がますますエスカレートしていった。彼女の告白に、住職はしずかにうなずいた。

「あなたが子どもを虐待するには、それなりのわけがあるのだ。あなたは自分の母親をどう思っているのかな」
「母はよくできた人でした」
「もういちど、自分の気持に正直になってごらん」

彼女は自分の子どもの頃を思い浮かべてみる。そうすると、いままでよくできた人だと思っていた自分の母親だが、そこに何か満たされないものを感じていたことに気づいた。世間的なうわべはよくできた母親だったが、人間的な温かみが感じられなかった。ときとして思ってもみない冷たい仕打ちを受けたことさえあった。

「よくできた母親だと思っていましたが、私は母親に甘えた記憶がありません。そして母親の前で緊張し、自分をよい子にみせようと演技していたようです」
「子どもを虐待するようになったのは、あなたの母親にも原因があるのだろう。母親に対する思いを、あなたは押し殺して生きてきた。そして孝行娘として最後を看取った」
「そして看護をする中で、不満がさらに鬱積していたようです」
「その不満が怒りとなって、あなたの子どもに向かった」

彼女ははじめて、自分の気持に気づいた。母親に対する不満が押さえつけられ、怒りが内向し、それが子どもに向かった。虐待の原因は自分の母親がまいていたのだ。このことを知って、彼女の心は少しだけ軽くなった。家に帰ると、「ごめんね」と自分の子どもをだきしめた。

 一ケ月ほどして、彼女はふたたび寺の門をくぐった。ところが顔色は以前より青ざめていた。じつは子どもに対する虐待は収まらなかった。それどころかひどくなっていた。彼女はとがった表情をして、住職をにらみつけた。(続く)

(今日の一首)

 いささかの文書き終えてひとやすみ
 障子あけても虫の音ばかり


橋本裕 |MAILHomePage

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