橋本裕の日記
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佐藤忠男さんは小学校時代、勉強はできた。そして母親の熱心な希望もあって中学校を受験した。試験の手ごたえもよかった。心配していた面接でも、試験官から「入学したら一生けんめい勉強するように」と、まるでもう入学したような言葉をかけられた。
ところが結果は不合格だった。発表の帰り道、佐藤少年は涙がこぼれないように上を向いて歩いたという。帰ると担任の先生が家に来ていて、母親に「不合格なんてどうも分からない」と首をかしげている。しかし、やがて受験の裏情報に詳しい別の先生が驚くべき真相を教えてくれた。
受験の最初の日、受験生は全員が首に番号札をつけられて、講堂に整列させられた。そして校長がいきなり壇上にあらわれ、挨拶抜きで明治天皇の短歌を三首、朗誦した。そのうちの一首は、こんな歌だったという。
あさみどりすみわたりたる大空の 広きをおのが心ともがな
佐藤少年は、これらの歌がきっと試験に出でるに違いないと思って、歌を忘れないように意識を集中した。校長は朗読を終わると、そのまま挨拶も講話もなしにまた姿を消した。なんだか妙にいばっていて、ヘンな感じだったという。
試験にはこの歌は出なかった。ところが、このときすでに佐藤少年の不合格が決まっていたのだという。それは明治天皇の歌を聞く態度がいけなかったからだ。
<まず試験の初日の朝に全受験生を番号札を首からかけて講堂に整列させ、自分がその前に立って明治天皇の和歌を三首読み上げる。そのとき頭を下げて聞くという作法をうっかり忘れている受験生が必ず何人かいる。それを講堂の受験生たちの列のまわりに配置した教師たちに首の番号札でチェックさせる。これで忠義の心を計るというのです。
この話を聞いていて私は自分の顔色が青くなるのを実感しました。それにひっかかった、とおもったからです。私だって皇室関係の話題が出たら直ちに直立不動の姿勢をとって首をちょっと前に傾けるという当時の学校の生徒のいちばん基本的な作法として躾けられていたことを知らないわけではない。しかし予告なしにいきなり、それが明治天皇御製だとは必ずしも分からない状態で朗誦したら、うっかりまごついたり、天皇の作った歌だと気づくのに時間がかかったりして、頭を下げることを忘れる者は必ずいるはずです>
佐藤少年も、「なぜ?」とちょっと考え込み、朗誦が終わることになってあわてて頭を下げたらしい。しかし、それが不合格の原因だと聞かされて、腹が立って仕方がなかった。
<それはちょっとうっかりしていただけのことであって、うっかりするように学校側で仕向けておいて、罠までかけて、それで忠義の心の有無を計るだなんて、ひどいものだ、と、そう思いました。ただ単に、愛国者だというその校長だけではなく、学校教育というもの全体に不信感を持ったのです>
佐藤さんはこうして母親の反対を押し切って中学受験をあきらめる。そして少年兵に志願することにした。そのときの心の動きを佐藤さんはこんなふうに振り返っている。
<そこにはまあ、祖国の危機に殉じようというヒロイズムや愛国心もないわけでもない。もっと単純に鉄工所の工員になるよりは飛行士になったほうが恰好いいし、みんなから注目され、先生からも誉められる、ということもあります。
もうひとつ、私を入試で落したあの中学の校長を見返してやる、という意地も作用します。あの校長は自分こそ愛国者だといばっているが、これから戦場へ行って死ぬことはできない。ところが私は戦死することができるし、そうすれば私のほうが本物の愛国者だと証明できる>
こうして母親の反対を押し切って、佐藤少年は小学校高等科を卒業したあと、海軍予科練習生となって高野山海軍航空隊に入隊した。ところがそれから三ヶ月後に敗戦になり、特攻隊にいかなくてすんだ。こうして佐藤さんは自らが愛国者であること証明する機会を奪われた。しかし、もうそんなことはどうでもよかった。敗戦後、大人たちの態度が一変したからだ。
軍隊が解散し、家に帰った14歳の佐藤少年は、「死ななくてすんでホッとした」と思った。そしていままでの自分過去を振り返り、いろいろ考えた。とくに彼の人生を大きく変えた中学受験の失敗について考えないわけにはいかない。そうすると悔しさがこみあげてきた。
<あの中学の校長を憎みながら、結局は生徒をどんどん軍隊に送り込むことに使命感を感じていたと思われる彼奴とその手下の教師たちの罠にはまってしまったのではないか。そう思うと本当にイマイマしい。恥ずかしい。戦争に昂奮して踊らされたことが愚かに思えて仕方がない>
<私は、あの経験をつうじて、日本の軍国主義を成り立たせた条件の一端を凝縮した様相で体験したような気がします。それは他人の愛国心、忠誠心を覗き見し、監視するということに病的なまでの喜びを感じている人たちがいたということです>
自民党と文部科学省は「愛国心教育」をおしすすめようとしている。東京都では教育委員会の役人が式典で、君が代斉唱や国旗礼拝のときの様子を、一人ひとりの教員についてチェックしているという。1999年には通信傍受法も制定された。これで警察や検察は盗聴をしてもよいことになった。
愛国心、忠誠心を覗き見し、監視するということに「病的なまでの喜び」を感じている人たちが、またこの国に復活してこないことを祈りたい。
(今日の一首)
ひさしぶり母の声聴く長電話 夜更けの部屋にわが声ひびく
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