橋本裕の日記
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「週刊現代」に長谷川櫂さんがエッセー「国民的俳句100」を連載している。長谷川さんは今週号(3/3)のエッセーを、「前々から気になっていた妙なことがある」と書き始めている。妙なことというのは、夏目漱石の作品に出てくるヒロインの名前だという。
「草枕」の那美(なみ) 「三四郎」の美禰子(みえこ) 「それから」の三千代(みちよ) 「門」の御米(おみね) 「彼岸過ぎ迄」の千代子(ちよこ)
これらの名前が「ミャーミャー、ニャーニャー」と猫の鳴き声のように聞こえる。「我輩は猫である」で、主人公の猫が思いを寄せるのは、二弦琴のお師匠さんの飼猫の「三毛子」である。長谷川さんは漱石の小説のヒロインは、この三毛子の生まれ変わりではないかという。「虞美人草」の「藤尾」も「尾」があやしい。「明暗」の「お延」にも猫があくびをしているような風情がただよう。
<猫から生まれたヒロインたち。こんなこと、世の漱石研究家は周知のことなのだろうか。このことに気づいてからというもの、漱石のヒロインがみな猫に思えてしかたがない。髭のある美禰子や三角耳の御米の幻影がときどき現れて、悩ましいことといったら>
長谷川さんのこの一文、漱石の急所を押さえているような気がする。これを読んでから、私も漱石文学のヒロインがどれも猫の化身のように思われてきた。そればかりではない。通勤電車で見る少女やご婦人たちまで、三毛子の親戚のように見える。何とも悩ましい。
(今日の一句)
春来れば草木も人も匂ひたつ 花のつぼみにやはらかな風
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