橋本裕の日記
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2007年01月22日(月) 日本語の構造(7)

 赤ん坊は、この世に誕生して、産声をあげる。そして、母親に問いかけられ、言葉を覚えていく。ところで、「言葉」とは何か。この問いに対する答えは様々であろう。そのたくさんある中の一つとして、私はもまたここでひとつ示しておこう。

<言葉とは「何者かの問い」に対する応答である>

 私たちが言葉を発するとき、その前提として、ひとつの問いがある。しかし、私のこの主張は正しいのだろうか。常に成り立つことなのだろうか。たとえば、<お前が行け>という命令文はどんな「問い」に対する応答だというのか。命令は一方的な指示と強制であり、応答でも対話でもないではないか。

 しかし、深い心で考えてみよう。そうすると、命令文でさえ、「何ものかに」(必ずしも言葉とは限らない)対する応答であることがわかる。履歴書や読書感想文を書くことも、小説を書くことも、すべて「何者かの問い」に対する応答である。いや、じつは、私自身の生きるという行為自身が、「何者かの問い」対する応答ではないのか。この問いに呼びかけられ、これに答えることが、生きるということではないか。

 人間はいつかは死ぬ。「阿(あ)」と産声を上げてこの世に生まれてきた人は、最後に「吽(うん)」と言って、息をひきとる。そして、死人はもはや沈黙して、何者への問いかけにも答えることがない。 

 <象は鼻が長い>

 この象を主題にした文は、「象はどんなですか」に対する応答であり、あくまで相手が知りたいのは「どんなふうであるか」という述部の部分である。主題の「象」に焦点があたっているように思うかも知れないが、そうではない。

(それでは象について、これから重要なことをいいますよ。それは「鼻が長い」ということです)

 この文にも、「象はどんなふうですか」という「問い」が前提とされている。世界の様々な事物の中で、「象」という哺乳動物の一種が、誰かによって話題として取りあげられ、それに「鼻が長い」と答えたわけだ。

 話題に取り上げるということは、それを意識的に選択し、世界から切り取ることである。「は」にはこうした主体的なはたらきがある。そして「は」によって切り取られ、額縁に飾られた内容が、<鼻が長い>という「述部」である。「象」という主題をもつ額縁の中に、「鼻の長い生き物」が飾られているわけだ。

<象が草を食べているよ>

 これは動物園に行って、象が草を食べているのを見たときの言葉だ。たとえば、私が娘にこう言ったとする。このとき、この文の主題は「象」だけではなさそうだ。「草」や「草を食べていること」だけでもない。

<象は、草を食べています>
<草は、象が食べています>
<草を食べているのは、象です>

 たぶん、私が娘に言いたかったのは、これらをすべて含めた、次のようなことだろう。

<象が草を食べているのが見えるだろう。見てごらんよ>

 このとき私が娘に伝えたいのは、「象が草を食べていること」そのものである。「主題ー述部」を基本とした三層の構造式で表せば、次のようになる。

  (私があなたに伝えたいことは)
 −−−−−−−−−−−−ーーー
      象が 草を
    −−−−−ーーーー
      食べている
 ーーーーーーーーーーーーーー
     (ということです)

 たとえ主観的要素をあらわにふくまない「描写文」でも、それが発語されるとき、それを伝えたいという発語者の意志が働いている。そして、あらゆる事物からまさに世界のその部分を選択して切り取るというところに、潜在的であれ顕在的であれ、その意志はしっかりと力を揮い、額縁のように文を統括している。

 これは日々発信されるニュースもそうであろう。一見、客観性をよそおいながら、何を話題にし、どう報じるかというところに、すでに報道者の意志が働いている。写真もまたある視点から、現実のある部分を切り取ったものであり、そこに映し出された現実は、すでに撮影者や編集者の主観が反映している。

 日本文は「主題ー述部」の基本構造をもっている。多くの文は見かけ上「〜は」という主題文ではないが、それは表層構造にすぎない。言語の深層構造において、それはいずれも「主題」をもっている。つまり、それはつねに「何ものか」についての陳述になっているわけだ。

 こうした「主題ー述部」の基本構造は、日本文に特有なものだろうか。以上の議論からもわかるように、私はこれは世界のすべての言語にあてはまる特性ではないかと思っている。英語に顕著な「主語ー述語」の基本構造も、じつのところこの500年間の歴史的産物にほかならない。そして英語でさえも、「主題ー述部」という構造を、その母体として深層部にもっている。しかし、これについて論じることはまた別の機会にしよう。

(今日の一首)

 カラスばか増えて困ると妻がいう
 自然に近き生き物絶えて


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