橋本裕の日記
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小田実さんが1961年に「何でも見てやろう」という本を出している。書棚からその本を取りだして、少し読み返してみた。それはこんな風に始まっている。
<ひとつ、アメリカに行ってやろうと、と私は思った。三年前のことである。理由はしごく簡単だった。私はアメリカが見たくなったのである。要するに、ただそれだけのことであった。・・・
アメリカのもろもろのなかで、とりわけ私が見たいと心ひそかに憧れていたものが三つあった。話があんまり単純で子供っぽいので、ここに書くのがいささか気がひけるくらいだが、それはニューヨークの摩天楼とミシシッピ河とテキサスの原野であった。
というと、なるほど、おまえは要するに大きなものが好きなんだな、とうなずかれる向きもあろう。そのとおりであった。私は、自然であれ、人間がこしらえたものであれ、大きなもの、それもばかでかいものが大好きなのである>
小田実さんは、メキシコへ行き、やがて中近東からヨーロッパ、インドへと足を伸ばす。ギリシャのアクロポリスでは荘厳な夕日を眺め、こんな文章を書いている。
<私はパルテノン神殿の巨大な大理石の円柱のかげに立ち、エーゲ海にまっさかさまに落ちていく太陽を望見した。息詰まる美しさとは、あのような美しさを言うのであろう。美しさを通り越して、それは荘厳であり崇高でさえあった。太陽が姿を消すと同時に急速に寒さが加わってきたが、私は身じろぎ一つしないで、残照の空と海を見比べていた。その色、それは往古、ホメーロスがブドー酒の色になぞらえたものであった>
エジプトではピラミッドやスフインクスをながめ、感動を通り越して「お手あげ」の気分に襲われる。こうして世界中の巨大なモノを見て歩き、感動しまくる、無名の貧乏な一青年の好奇心豊かな、破天荒な紀行記ができあがった。
この本は小田実を一躍有名にした。この本は私たちの世代にとって、ある種のバイブル的存在だった。この本を読んだ青年の多くは、彼のように身一つで世界を放浪してみたくなったのではないだろうか。
私もそんな青年の一人だった。夢はいつか現実の中で忘れ去られ、日常性の中に埋没していく。しかし、完全に忘れ去られることはなく、今も私の胸底に埋火のように燃え残っている。
小田実さんは「大きなもの」が好きで、これを見たさに旅に出たと書くが、これは青年らしい健康な好奇心だ。しかしその小田さんも、次第に小さなものに目を開かれていく。絢爛豪華な宮殿の美ではなく、世界の片隅でつつましく生きている庶民の生活の美しさに感動するわけだ。そして、最後にこう書く。
<世界をまわってみて、小国の国民であることがどんなに幸いであるか、私はよく判った。・・・私は小国の国民であることをうれしく思った。誇りにさえ思った>
小田さんは「大きいもの」に引かれながら、たどりついたのは、「小さなもの」の輝きだったのだろう。そこに小田実の「何でも見てやろう」精神のすばらしさがある。
私の世界放浪の旅は、「小さなもの」をめぐる旅になりそうだ。例えば、フイリピンの片田舎の、みすぼらしい教会から聞こえてくる賛美歌に何となく耳をかたむける。あるいは、町外れのバス停で往来を行く人たちを眺めて、いつ来るともしれないおんぼろバスを待ち続ける。そんなあてもない、ぼんやりとした旅がしてみたい。
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