橋本裕の日記
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国債は借金ではなく、国民の国家に対する投資だと書いた。しかし、国債には株のような有価証券と違って返済義務がある。この点について、渚のバラードさんが掲示板で疑問を呈して下さった。まずは、これを引用しよう。
<「国債は国民の財産論」についての一連の日記ですが、橋本さんの解説の中では、「元本の返済」に関する原資の手当てについて明解な説明が無いのです。
確かに、元本の返済を無視すれば実質的なゼロ金利状態の今、自転車操業ながら国家財政は何とか回ります。税収も上方修正のようですし、この状態が続くならば短期的には利払いも心配なく、国債依存度も現状維持は出来ると思います。ところが、問題は数年後に来る国債の大量償還です。国内金融機関なら、全額ではないにせよ、政府の要請で再度購入に応じるでしょうが、個人や外資系機関投資家なら高金利を求めて資金の国外移転はあり得ます。
米国の場合は、圧倒的な軍事力に裏付けられた国としての安全性への信用で、資金の流入は止まることがないでしょうから、経済が不振になっても資金が逃げて行く事はないのです。逆に、日本は安全性に対する不安度が米国よりも大きいですから、日本国債の暴落リスクは相対的に大きいのです。
こう考えると、国債償還の原資を如何に見出すかの明解な回答がない限り、「国債は投資であり、国民の財産だ」という説には納得が行かないのですが>
この疑問はもっともなことである。国債は株式のように発行してあとは市場に委ねていればいいというわけではない。毎年の利払いがあり、最後は返済しなければならないという意味では、これはまぎれもない「借金」である。いずれ返済しなければならないとしたら、その原資をどこに見いだすべきか。
現在は国債を償還するために、あらたに国債を発行し、その場をしのいでいるという状況である。こうした自転車操業がいつまでも続くわけではない。郵政公社が民営化されれば、これまでのように郵便貯金に頼ることもむつかしくなる。それではどうしたらよいのか。
私の答えは、現在の規模の国債を容認する。そして、その上で償却や利払いの原資を1500兆円の個人金融資産に求めるということだ。なぜなら、これまでも書いたように、貯蓄と借金は双子の関係にあり、その一方の減額は、もう一方の減額と見合っているからだ。
したがって、国債償還は基本的に個人金融資産を活用し、これを効果的に運用して得られる利益をあてるのが、もっとも合理的であり、社会正義にもかなっているのではないかと考えている。しかし、言うは安し、実際にそんなことが可能なのだろうか。私はこれが可能だと考えている。(続く)
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