橋本裕の日記
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2006年03月25日(土) 高山線の旅

 昨日、青春18切符を使って、高山まで行ってきた。6:36に木曽川駅をたち、途中岐阜で乗り換えて、高山に着いたのが10:09だった。片道3時間半ののんびりとした鉄道の旅だった。

 春らしいおだやかな日和で、車窓から見える風景がすばらしかった。鉄道は木曽川に沿って走っている。各駅停車の鈍行だから、小さな駅にも止まり、鄙びた駅舎に日差しが当たっているのを見ていると、恍惚とした思いに襲われる。地元の人々が乗り降りするが、それらの人々とも一期一会だと思うと出会いが楽しい。

 沿線の風景はすばらしい。山あり谷ありで見ていてあきない。ときには山の中を走る。遠くの山に雪が残っていたが、里には梅が咲いている。木曽川の渓谷は雪解けの豊かな水で満たされ、それが空の蒼を映している。そして春の日差しがまぶしい。

 高山線にはじめて乗ったのは、30年以上昔のことだ。当時金沢大学の学生だった私は春先に福井へ帰省するとき、富山から高山、岐阜へ回ることを考えついた。朝はやく金沢を出て、福井に着いたのは何と夜になっていた。しかし、このとき見た高山線の沿線の風景は、想像以上に美しかった。

 高山という町は嫌いではないが、若狭小浜ほどの魅力や愛着は感じない。だから高山への旅は、むしろ沿線の風景を楽しむ旅である。風景を眺めながら、いろいろと感じたり考えたりする。それは文学的な空想を楽しむひとときであり、哲学的な思索と瞑想に心をゆだねる時間でもある。

 空想や瞑想に飽きたら、持参した本を読む。昨日持参したのは、水田洋先生の「アダム・スミス」(講談社学術文庫)だった。名古屋大学名誉教授の水田先生とは同人誌「象」でご一緒させていただいたが、そのせいか本を読みながら、ときどき先生のことを思い出した。著者の顔を思い浮かべ、その声を思いだしながらの読書はまたひときわ楽しい。

 それにしても、この本は名著である。水田先生はアダム・スミス研究では国際的に有名な学者だが、社会問題にも積極的に発言する市民運動家だ。その語り口はとても平易で、私のような専門外の人間にもよくわかる。しかも内容が深い。アダム・スミスを論じながら、その射程ははるか現代から未来まで見据えている。まさに名著といっていいのではないか。

 そんなことを考え、また外の景色を眺めて陶然としているうちに、いつか高山に着いていた。帰りの列車が14:48だったから、4時間半以上時間がある。高山の町を歩き、飛騨牛の串焼きやみたらし団子を食べた。それから道端のベンチに腰を下ろして、「アダム・スミス」の続きを読んだ。

 日差しは春爛漫だが、さすが高山はまだ気温が低い。しばらくは寒さも忘れ読書に没頭していたが、やがて寒さに気付いて立ち上がり、また古い家並みの中を歩きまわった。喫茶店でも入ろうかと思ったが、この辺りの店はどこも観光客目当てだから高そうである。

 少し時間が早かったが、高山駅にもどり、その隣の喫茶店に入った。350円のホットコーヒを注文し、そこで1時間以上ねばった。というか、夢中で本を読んでいて、気がついたらもう出発の時間になっていた。


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