橋本裕の日記
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2005年11月04日(金) 石橋湛山の先見の明

 戦前・戦中、「満州は日本の生命線」だといわれた。満州を失い、朝鮮を失えば日本は滅びると考えて、これらの植民地を死守すべく、愚かな戦争に突入していった。そしてこの侵略戦争を、「大東亜共栄圏の建設」とか、「八紘一宇」などと呼んで美化していた。

 こうした傾向を、戦前から鋭く批判し、日本に植民地は必要ではなく、日本の活路は米英との協調関係にあると説いていたのが石橋湛山(第55代内閣総理大臣)である。彼が大正十年のワシントン海軍軍縮会議に際し、『東洋経済新報』 に発表した二つの社説を紹介しよう。

 これを読めば、アメリカが突きつけてきた「ハルノート」もそうやみくもに拒否すべきものであったかどうか疑問になるだろう。すでに日本側から、こうしたことを石橋湛山は委曲を尽くして主張していたからだ。

 文章の引用は瀬戸内パイレーツさんが掲示板で紹介して下さったHP(アドレスを下記)からさせていただいた。石橋湛山の文章は、「戦う石橋湛山」(半藤一利著 東洋経済新報社)からの引用だそうである。

<例えば満洲を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか。また例えば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常な苦境に陥るであろう。

 なんとなれば彼らは日本にのみ、かくのごとき自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保ちえずに至るからである。その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、日本が台湾・朝鮮に自由を許したごとく、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。

 これ実に我が国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の位地に置くものではないか。我が国にして、ひとたびこの覚悟をもって会議に臨まば、思うに英米は、まあ少し待ってくれと、我が国に懇願するであろう。

 ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救われる。しかも、これこそがその唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である。

 以上の吾輩の説に対して、あるいは空想呼ばわりをする人があるかも知れぬ。小欲に囚わるることの深き者には、必ずさようの疑念が起こるに相違ない。朝鮮・台湾・満洲を棄てる、支那から手を引く、樺太も、シベリアもいらない、そんなことで、どうして日本は生きていけるかと。

 キリストいわく、「何を食い、何を飲み、何を着んとて思い煩うなかれ。汝らまず神の国とその義とを求めよ、しからばこれらのものは皆、汝らに加えられるべし」 と>(「一切を棄つるの覚悟」七月二十三日号)

<朝鮮・台湾・関東州、この三地を合わせて、昨年、我が国はわずかに九億余円の商売をしたに過ぎない。同年、米国に対しては輸出入合計十四億三千八百万円、インドに対しては五億八千七百万円、また英国に対してさえ三億三千万円の商売をした。すなわち経済・貿易を重視するならば、三植民地より後者三国のほうが欠くべからぎる国であり、よっぼど重要な存在ということになる。

 しかも、中国およびシベリアにたいする干渉政策が、経済上からみてどんなに不利益をもたらしているかを知るべきである。つまり中国およびロシア国民のうちに日本にたいする反感をいっそう高め、経済的発展の障害となっている。この反感は、日本が干渉政策をやめないかぎり、なくならない。

 それゆえに、結局のところ、朝鮮・台湾・樺太を領有し、関東州を租借し、支那・シベリアに干渉することが、我が経済的自立に欠くべからぎる要件だなどいう説が、全くとるに足らざるは、以上に述べたごとくである。

 我が国に対する、これらの土地の経済的関係は、量において、質において、むしろ米国や、英国に対する経済関係以下である。これらの土地を抑えて置くために、えらい利益を得ておるごとく考うるは、事実を明白に見ぬために起こった幻想に過ぎない。・・・

 日本の政治家も軍人も新聞人も、異口同音に、「わが軍備は他国を侵略する目的ではない」という。では他国から侵略される恐れはあるのか。仮想敵国は以前はロシアだといい、いまはアメリカだという。では問うが、いったいアメリカが侵略してきて日本のどこを奪ろうというのか。

 日本の本土のごときは、ただで遣るといってもだれも貰い手はないであろう。むしろ侵略の恐れのあるとすれば、わが海外領土にたいしてであろう。それよりも何よりも、戦争勃発の危険のもっとも多いのは、中国またはシベリアなのである。

 我が国が支那またはシベリアを自由にしようとする、米国がこれを妨げようとする。あるいは米国が支那またはシベリアに勢力を張ろうとする、我が国がこれをそうさせまいとする。ここに戦争が起これば、起こる。しかしてその結果、我が海外領土や本土も、敵軍に襲わるる危険が起こる。さればもし我が国にして支那またはシベリアを我が縄張りとしようとする野心を棄つるならば、満洲・台湾・朝鮮・樺太等も入用でないという態度に出ずるならば、戦争は絶対に起こらない、したがって我が国が他国から侵さるるということも決してない。

 論者は、これらの土地を我が領土とし、もしくは我が勢力範囲として置くことが、国防上必要だというが、実はこれらの土地をかくして置き、もしくはかくせんとすればこそ、国防の必要が起こるのである。それらは軍備を必要とする原因であって、軍備の必要から起こった結果ではない。

 しかるに世人は、この原因と結果とを取り違えておる。謂えらく、台湾・支那・朝鮮・シベリア・樺太は、我が国防の垣であると。安(いずくん)ぞ知らん、その垣こそ最も危険な燃え草であるのである。しかして我が国民はこの垣を守るがために、せっせといわゆる消極的国防を整えつつあるのである。吾輩の説くごとく、その垣を棄つるならば、国防も用はない。あるいはいわく、我が国これを棄つれば、他国が代わってこれを取ろうと。しかりあるいはさようのことが起こらぬとも限らぬ。しかし経済的に、既に我が国のしかく執着する必要のない土地ならば、いかなる国がこれを取ろうとも、宜いではないか。

 しかし事実においては、いかなる国といえども、支那人から支那を、露国人からシベリアを、奪うことは、断じてできない。もし朝鮮・台湾を日本が棄つるとすれば、日本に代わって、これらの国を、朝鮮人から、もしくは台湾人から奪い得る国は、決してない。

 日本に武力があったればこそ、支那は列強の分割を免れ、極東は平和を維持したのであると人はいう。過去においては、あるいはさようの関係もあったか知れぬ。しかし今はかえってこれに反する。日本に武力あり、極東を我が物顔に振る舞い、支那に対して野心を包蔵するらしく見ゆるので、列強も負けてはいられずと、しきりに支那ないし極東をうかがうのである。>(大日本主義の幻想)

 日本が愚かな戦争をし、そして敗れたのは、指導者に世界に通用する戦略なかったからだ。そうした意味で、石橋湛山は米英に対抗できる貴重な戦略家だった。そして彼がすぐれた戦略家たりえたのは、彼が世界に通用する世界観と歴史観、哲学を持っていたからだ。現在の私たちも彼から多くのことを学ぶことができる。

(参考サイト)
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/book_ishibashi.html


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