橋本裕の日記
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私の父方の実家は福井県の田舎にある。江戸時代は苗字・帯刀を許された庄屋で、祖父や伯父は村議会の議長を務めるなど、村の有力者だった。広大な山林と田畑を持ち、千坪ほどの敷地に大きな母屋や倉が建っていた。
伯父がかなりの山林を売り払い、ブラジルへ渡った後、三男の父が家を継いだ。私が中学生の頃で、それまで気軽なサラリーマンだった父に、村に何十軒とある家の本家としての責任と重圧がかかってきた。私たち家族も福井市に住みながら、日曜日には父の運転する車で田舎に行って山仕事をした。
そんな生活を30年ほどしてから父が死んだ。山林や田畑、千坪ほどの家屋敷が残され、山には何万本という木があったが、外材に押されて日本の林業は壊滅していた。山の木を切っても赤字になるだけだから、大した財産ではない。
その上、父が死んだ頃は、母屋も倉もすでに処分してあった。敷地の一部を村の公民館や近所の料理屋の駐車場として使ってもらっていたが、残りの大部分は父と私が植えた杉が一面に繁っていた。こんな状態だから、それほど相続税がかかるわけではない。
私は家のことは福井の弟にまかせていた。高校卒業と同時に家を出て、名古屋で結婚し、今は一宮で暮らしている私は、相続についてはあまり期待していなかった。母や弟がくれるというなら、もらえるだけもらえばよいと考えていた。
母も弟も福井で暮らしてたから、田舎の財産について執着があるわけではない。父は山仕事をしながら土地や山の境界を教えてくれたが、財産に関心がなかった私たちは、ほとんど覚えようとしなかった。最後は父もあきらめて何もいわなくなった。
父もまた家の敷地の中に公民館を建てさせ、料理屋を経営する従兄弟のYさんに頼まれれば、気前よく駐車場として貸した。その上、倉が欲しいという人があれば、二束三文で売り払った。
倉の中には家宝の刀や先祖伝来の鎧兜があったが、これは祖父が死んだとき盗まれた。父は「どろぼう」がだれか知っていたが、「そのうち罰があたるさ」と言って笑っていた。実際、それから数ヶ月後、父の兄弟の一人が交通事故にあって入院したので、私はきっとこの人だろうと思ったものだ。
父が死んだ後、いとこの一人がやってきて、「M伯父さんが、本家の財産などみんな巻き上げたやる」と言っていたと私たちに告げた。私は「そんなことができるのだろうか」と半信半疑だったが、やがてこれが現実になった。
もっとも仕掛人は料理屋を経営するYさんだった。父は倉を壊したあとの敷地を、無償で駐車場として貸していたことでもわかるように、長年の友人であった従兄弟のYさんを信頼していた。私たちも村に行くたびにYさんの店に顔を出して世間話をしていた。だから、Yさんの仕掛けてきた罠にはまってしまったわけだ。その手口を明日の日記で紹介しよう。
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