橋本裕の日記
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2004年07月10日(土) |
人間性を忘れた教師たち |
今朝の朝日新聞に、受け持ちの児童に級友をたたかせた愛知県稲沢市の小学校教諭(58)の話がのっていた。この教師は担任する4年生のクラスの「帰りの会」のとき、宿題を忘れた生徒に懲罰を与えるために、「誰かたたきたいひと」と挙手をさせたという。
そして挙手をしなかった生徒を指名し、その生徒がいやだと言っても「たたけ」と強制し、たたかせたのだという。級友をたたいた生徒は、その後、学校に行くことをいやがり、そのご登校をしなくなったという。
小学校の校長は、「暴力を肯定するやり方で、不適切な指導方法だった。教諭には口頭で注意をした」と話しているという。校長の対応から見て、あまりこのことを重大には考えていないようだ。
私がかって勤務した高校の校長の場合は、毎朝夕国旗を掲揚し、校長命令で教師も毎朝夕、国旗を礼拝していたが、校長自ら体罰肯定論者で、職員会議で「先生方も生徒を遠慮なく指導してやってください」と公言していた。いつか、職員室で「パシン」という音がしたので振り向くと、校長が生徒を叩いている最中だった。校長自ら率先して教師達に範を垂れていたわけだ。
その理由が実にたわいもないもので、たとえが下足箱の靴の入れ方がみんなと違うと言うだけで、生徒は職員室で何時間も正座させられていたりした。私はこうした校長の指導方針に疑問をもっていた。この高校の場合は、校長が狂っていたとしか思えないが、その下で、体罰などどうしてもできなかった私などは、一人前の教師だとは見なされなかった。それで、最初の年から転勤希望を出し、二年目にしてその学校を逃げ出して、定時制高校教師になったわけだ。
私自身そんな悲しい体験があったので、朝日新聞の記事を見て、教師の命令で級友をたたかざるをえなかったその生徒の心の痛みはとてもよくわかる。こうしたつらい思いを生徒にさせてはいけないと思った。
話は変わるが、現在大学生の私の長女も、小学行の頃は、ひととき教師に恵まれなかった。担任の男性教師がいやでいやでたまらないのだという。生徒を人間扱いにしないで、差別する。暴力は振るわないが、気に入らないことがあると、それ以上に子どもを傷つける言葉の暴力をあびせかけてくる。
私はこれまでの教師体験から、子どもの話を鵜呑みにはできないことはわかっていたので、話を聞きながら半信半疑だった。しかし、ある日、その教師が家庭訪問にやってくるというので、私は子どもの話がほんとうかどうかたしかめてみることにした。
妻はその教師と玄関先で対応した。じつは玄関のとなりが私の書斎だった。ふたりの話が手とるように聞こえてくる。その具体的内容についてはプライバシーの問題があるのであきらかにできないが、私はものの数分でその教師の正体がわかった。これはとんでもないやつである。長女だけではなく、こんな人間とは私自身口をききたくないと思ったものだ。
5年生が終わるとき、その教師が「来年、おれのクラスになりたくないものは手をあげろ」といったそうだ。ほとんどの生徒がそう思っていたが、だれも手をあげようとしないなかで、長女は思いきって手をげた。結果的にもう一人、ふたりだけがその教師に、ささやかな抵抗をしたのだという。
その教師はとても頭が良く、上司の信頼も厚い先生らしい。そしてそのことを、なにかにつけて生徒達に吹聴する。たしかに優秀な先生かも知れないが、教師にはそれ以前に大切なものがあるのではないか。一言でいえば、生徒に対する愛情、人間に対する愛情だ。幸い、私の長女はその後、中学校、高校ではとてもすばらしい先生方に恵まれた。ありがたいことだと思っている。
最後に、これから教師になろうという若い人のために、以前書いた私の言葉を引用しておこう。何かの参考にしてもらえればありがたい。
<俳優についての「さいとー」さんの言葉、いいですね。教師についても当てはまるかもしれません。
「教師とは職業ではなく、教師という生き方を選んだ人である」
教師という生き方とは何でしょうか。それは他者の魂の成長を助けることで、自らも成長する生き方ではないかと思いました>(5月16日掲示板)
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