橋本裕の日記
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2003年09月28日(日) ロジカルシンキングのすすめ

 NHK教育テレビの英語ビジネスワールドでおなじみの本間正人さんの書いた「英語で鍛えるロジカルシンキング」(日経BP社)という本を読んだ。日本語では「理由を述べてから結論を述べる」のに対し、英語では「結論を述べてから、理由を述べる」という。英語圏では小学生のときから、これを「文章作法」として徹底的に叩き込まれるらしい。

<このような作文教育の結果、英米人の文章は、明確な論理構造を持つことになります。一つ一つの段落がまとまった意味を持ち、曖昧さがない、筋の通った文章が理想とされるのです。そして、段落の最初の一文は、キーセンテンスと呼ばれ、その段落で述べることの大意を表し、各段落の先頭の文章だけを拾い読みすれば、文章全体の意味がだいたいつかめるような構成をとるべきだと教え込まれるのです。そして、実際に、多くの英米人がそういう文章を書いています>

 まず結論を述べる。そしてその根拠や理由を述べる。それも重要なものから先に述べるという欧米式の文章術は大変明解である。これにたいして東洋流の「起承転結」の文章術はまるで反対である。重要なものほど後にくる。途中に思わぬ飛躍や逆説があったりして、文学的ではあるが、必ずしも論理的に明解とはいえない。

 本間さんによると、英語(日本語)の主な特徴は次のようなものだという。
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�ゥ好蹇璽�ンが具体的である(抽象的)
�θ歡蠅�文頭に来る(文末)
��立場が客観的で絶対的である(相対的)
��他動詞が中心(自動詞)
��敬語は丁寧語が中心(人間関係を反映して尊敬や謙譲語)

 本間さんは欧米社会ではこうした「論理的思考」と同時に、「批判的思考(critical thinking)」が重要視されているという。論理的が優先される社会では、年齢や性別、地位といった発言者の立場はあまり考慮されない。誰の発言かということよりも、発言の内容そのものが大切である。その内容が論理的であり、建設的なものであれば、平等に尊重される。また、相手がどんな立場の人でも、自由に批判が出来る。

<日本人は議論が下手だという理由の一つに、「批判」と「非難」の区別がつかないという指摘があります。理性的な議論によって自説が「批判」された場合、自分自身が「非難」されたと感じて、感情的に応酬してしまう。たとえば「それは屁理屈だ」の一言で片づけたり、相手の人格攻撃を始めたりする。というケースが見受けられます>

 どうしてこうしたことになるのか。本間さんはその理由として、日本人は論理学の教科書を読む機会がほとんどなく、論理学そのものが社会的に存在感がないことや、日本人にとって日本語を使って論理的な思考力を磨く機会が少ないことを上げている。

<他人の書いた文章を読むとか、他人の発言を聞く時にも、これは論理的であるとか、ないとか、批評・検討することはできます。しかし、論理的思考力・コミュニケーション力は、自分から発信する場合に、初めて試されると言ってもよいでしょう>

 アメリカでは、小学校からこうしたことが叩き込まれる。高校ではスピーチ・コミュニケーションの授業があるし、大学では文章術の授業が必修科目になっていたりする。日本の場合、他人の文章を読んで、これを理解することは学んでも、いかに自分の文章を書くかということは学ばない。社会的文化的な風潮もあるのだろうが、こうしたところはもう少し欧米式を見習いたいものだと思う。


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