橋本裕の日記
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2002年06月22日(土) 詩的なものの世界

 中学や高校の頃、よく近所の公園へ行って、星空を眺めた。星空を眺めていると不思議な気がしてくる。直径が10万光年もあるという私たちのこの銀河には、1000万個もの恒星があるという。しかも、そうした銀河が、この宇宙にはさらに1000万個以上あるというのだ。

 1600年にジョルダーノ・ブルーノは、「宇宙は無限である」と考え、「太陽も星の一つに過ぎない」と主張したため、異端視されて裸のまま十字架に縛り付けられ、広場で火あぶりの刑をうけた。しかし、やがてガリレオは自作の望遠鏡を天の川に向けて、地球どころか太陽でさえも宇宙の中心ではなく、無数の星くずのひとつに過ぎないことを確信した。

 現代の科学者は、聖書や教会が主張するように、人間は神に似せられて創造された唯一例外的な存在であることを信じていない。宇宙を支配する法則は普遍的なもので、宇宙には人間以外に、数多くの知的生命体が存在しているに違いないと思っている。

 そうした知識を持って、その広大で悠久な宇宙という視点から人間の社会を見つめ、自己の人生を見つめてみると、そこにまた新たな感慨が起こってくる。宇宙に向かっていた視線が、いつか反転して、自分たちの住む現実世界を照らし出し、そこに新たな人生の意義や装いを与えていることに気付く。

 私は詩人とはこうした「永遠」というもの認識を足場にして、現実の人生を見つめることのできる人ではないかと思う。芭蕉は俳句を詠むということは、「高く悟りて俗に還る」ことだと説いている。「行きて帰ること」が必要だとも述べているが、私は芭蕉のこの言葉がことのほか好きだ。

 思考の翼は私たちを地上高く運んでくれる。それは自己という狭苦しい牢獄から解放し、宇宙の広大さと永遠さに触れあわせてくれる。そして、そうした永遠の視点に立って、ふたたび人生の万物を見つめるとき、そこに自ずから生まれてくる人生の発見がある。私はそれこそが「詩的なもの」の正体ではないかと思っている。

<今日の一句> 彦星を さがしてをれば 蛙なく  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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