橋本裕の日記
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種田山頭火(1882〜1940)という俳人がいた。山口県防府に地主の長男として生まれながら、彼はやがて妻子を捨て,世間を捨て,行乞の人生を送り,俳句一筋に生きた。詠んだ俳句は約八万四千句だという。
山頭火は幼い頃、井戸に身を投げた母親の白い死顔を目撃している。そして、さらに追い打ちをかけるような弟の首吊り自殺。山頭火はついに大正15年4月、45歳の時、「解くすべもない惑ひを背負うて」行乞流転の旅に出た。
おちついて死ねそうな草萠ゆる 朝は澄みきっておだやかな流れひとすじ 夕焼うつくしく今日一日つつましく 食べることの真実みんな食べている 分け入っても分け入っても青い山 酔うてこほろぎと寝ていたよ いつのまにやら月は落ちてる闇がしみじみ 笠へ落ち葉の秋が来た ゆっくり歩こう萩がこぼれる 山のしづけさは白い花
彼の生きた時代は、関東大震災から世界恐慌、満州事変、太平洋戦争へと傾斜する殺伐とした動乱の時代だった。そうした厄介な時代を、俳句を生涯の友としてしぶとく生き抜いた山頭火は、生命力の旺盛な反骨の人だったようある。彼は俳句だけではなく、日記も残している。
「征服の世界であり、闘争の時代である。人間が自然を征服しようとする。人と人が血みどろになって掴み合うている。敵か味方か、勝つか敗けるか、殺すか殺されるか。……私は巷に立ってラッパを吹くほどの意力をもっていない。私は私に籠もる。時代錯誤的生活に沈潜する」
「道は非凡を求むるところにはなくて、平凡を行ずるところにある。句を磨くことは人を磨くことであり、人のかがやきは句のかがやきとなる。人を離れて道はなく、道を離れて人はない。道は前にある。まっすぐ行こう」
「生きることは味ふことだ。酒は酒を味ふことによって酒も生き、人も生きる。しみじみと飯を味ふことが飯をたべることだ。彼女を抱きしめて、女が解るというものだ」
「身心が燃えている。自分で自分をもてあます。どうしようもないから川に飛び込んで泳ぎまはった」
「昭和7年度の性欲整理は6回だった。内2回不能、外に夢精2回……」
「ある時は澄み、あるときは濁る。澄んだり濁ったりする私であるが、澄んでも濁っても、私にあって一句一句の身心脱落であることに間違ひはない」
「清貧に安んじて閑寂を楽しむ。さうなる外はない。昨日を思はず、明日を考えず、今日は今日を生きる。これがやっぱり、私の真の生活である」
天地を我家とし、旅を生涯の住処とした山頭火の足跡は、九州から東北まで全国至るところにしるされている。そして昭和15年10月11日未明、松山市御幸町の御幸寺境内の草庵で、山頭火は念願のころり往生を遂げた。享年59歳だった。
<今日の一句> 偲びつつ 歩けばさびし 白い花 裕
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