橋本裕の日記
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昨日の朝日新聞「折々の歌」で、大岡信さんが、長塚節(1879〜1915)の歌を紹介していた。それは歌集「鍼の如く」の中のこんな一首である。
垂乳根の母が釣りたる青蚊帳を すがしといねつたるみたれども
長塚節(ながつかたかし)は私の好きな歌人の一人だ。「馬酔木」の同人で子規に師事、写生的短歌を作った。しかし、晩年、結核を患い、また恋愛にも破れて、そのころからの歌は、単なる写生の域を超えて心が深くなった。この歌も、そうした人生の滋味と香気を静かにたたえている。
なぜ、母親が息子の蚊帳を釣ったのか。息子をあまやかしている訳ではない。節は病院を抜けてきたのだ。結核は彼を追いつめた。さらに、辛い出来事が追い打ちをかける。彼は自分を襲った業病故に、愛する人と別れる決心をした。そして力が尽きて、母親の元に逃れてきたのだ。彼にはもはや、蚊帳を釣る力は残されていなかった。
それにしても、「垂乳根の母」がいい。いまどきなら「哺乳壜の母」も多いのだろうが、子と母の絆はやはり子が母の乳房を吸うことで始まり、深まっていく。子のいのちを育んだ母親の乳房は、たとえ形が崩れていようと、人生の宝物なのだろう。
以前に読んだときには、「たるみたれども」が少し気にかかった。母の釣った蚊帳がたるんでいる状況を歌っているのだが、ここはすこし冗漫ではないか、せつかくの清々しい歌が、最後にゆるんでいるのではないかと残念だった。
ところが、大岡さんは、この部分を、「お母さんの力では蚊帳もたるんでいるけれど」と解釈している。この文章を読んで、「ああ、そうだったのか」と私はうなずいた。母親の息子を思う気持ちは、すこしもたるんではいない。むしろ蚊帳のたるみに、長塚は母親の愛の深さと、人生の切なさを感じているわけだ。このことに気付いて、私はこの歌がますます好きになった。
<今日の一句> たらちねの 母を想へば 風薫る 裕
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