橋本裕の日記
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2002年05月03日(金) 教科書の文章

 数年前のことだが、図書館からアメリカの理科の教科書を借り出して、読みふけったことがあった。小学校と中学校で使われている教科書なので、英語もやさしくて、辞書などひかずに読み進むことができた。

 ハードカバーの立派な教科書である。写真やイラストもふんだんに使ってあり、一見して高価だとわかる。これを学校は生徒に無料で貸し出すらしい。氏名を書く欄が10個ほど用意されているのは、10年間ほどはこれを使うのだろう。よいものを長く使うという方針のようだ。

 私が感動したのは、その内容の面白さである。小学校、中学校の理科の教科書がこんなに面白いとは思わなかった。高校で長年理科を教えてきた私(現在は数学)が読んでも、自然界に対する新たな発見があり、驚きがあった。さらに学年が進むと、問題を更に深く追求したい生徒のために、文献のリストまでついている。

 アメリカの教科書は、日本の貧弱で、無味乾燥な教科書とはまるで違っている。まず、文章が生き生きとしている。貧弱な英語力の持ち主の私が読んでも感動するのである。こうした感動を、私はついぞ日本の教科書で味わった覚えがない。

 いや、例外がないわけではない。たとえば大学時代に読んだ朝永振一郎さんの「量子力学」など、文章がとてもすばらしいので感動したものだった。考えてみると、私が物理学者になろうと憧れたのは、湯川さんや朝永さんの文章に引かれたせいもあるのだろう。湯川秀樹の「旅人」、朝永振一郎の「物理学とはなんだろう」など、高校時代に読んで感銘をうけた書物の一冊として今も鮮明に記憶に残っている。

 アメリカの教科書を読んでいらい、「教育改革は教科書改革から」というのが私の持論になった。もっとも、日本の学者や教育者に、このような魅力的な文章が書ける人材がいるかどうか、そこが心配である。また、このような魅力的な教科書は、日本の知識偏重の受験体制からは生まれない。

 さらに、文部科学省の検定制度や、出版社の儲け主義が壁になっている。つまるところ、日本の教育体制を根本的に変えることが必要なのだが、その風土を変えるためにも、魅力的な日本語で書かれた理科や数学の教科書が、一冊でも世に出てほしいと思う。

(私がこれを書いてやろうという野心がないわけではない。しかし、そうすると、放浪の旅をあきらめないわけにはいかない。それに、好きな小説や俳句を楽しんでいることもできなくなりそうだ)


橋本裕 |MAILHomePage

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