橋本裕の日記
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前にも書いたように、「日本童謡集」(与田準一編・岩波文庫)に載せられた金子みすゞの《大漁》という作品に出会って、矢崎節夫さんの人生が変わった。彼はそれから16年間にわたり、金子みすゞを追い続けた。
1982年、矢崎さんはとうとう彼女の弟の上山正祐(雅輔)氏が東京で生存中であることをつきとめる。上山氏にとっても、それは奇跡的な出会いだった。彼は大切に保管していた姉の3冊の手帖を、《大漁》の詩の熱烈な愛好家だという童謡詩人の矢崎氏に委ねた。こうして、矢崎氏の献身的な努力で、みすヾの残した512編の詩が、一気に甦ることになった。
ところで、矢崎さんが山川さんに会って、最初に訊いたのは、「金子みすゞさんはどうして亡くなられたのですか」という問いだったという。没後50年余を経て、26歳で夭折した彼女の死因がわからなくなっていた。病死説と自殺説の両方があったが、はっきりしない。
上山氏は言下に、「姉は愛する娘のために命を捨てたのです」と答えた。これを聞いて、矢崎さんはいっぺんに胸のつかえが下りたという。あんなにすばらしい詩を残した詩人の死が、生活苦や狂気、恐怖、失意などから世をはかなんでの自殺であったりしてほしくはなかった。それでは、彼女の詩そのものがまがい物だということになってしまう。しかし、それは杞憂だった。
金子みすゞの別れた夫は、親権をたてに彼女から娘を奪おうとしていた。しかし、放蕩三昧で生活力のない夫に娘を預けることは出来ない。そこで、彼女は自分の命をかけて、娘を救おうとしたのだった。夫にあてた遺書の中で、彼女は娘を彼女の実家にそのまま預けておいてくれるように懇願している。実家には母がおり、庇護者の義父がいた。
金子みすゞはそのすべての詩で「いのちのすばらしさ」「愛することの大切さ」を訴えている。愛する娘のために命を捨てることは、それはそれで彼女にふさわしい死に方だった。彼女の26年間の生涯そのものが、まさに彼女の詩と見事に照合し、あまりにも美しく調和している。
もっとも純粋な愛とは何か。それは、「その人のために、自らのいのちをも捧げることができる」ということだろう。金子みすゞは最後まで愛の詩人として生き、そしてその純粋さのまま死んでいった。
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