橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
| 2001年06月03日(日) |
個人の幸福と国家の役割 |
個人と国家の関係をどうとらえるかということは、古来より哲学の大きな問題だった。プラトンの主著は「国家」とい題をもっているし、アリストテレスは「人間とはポリス的な動物である」という有名な定義を与えている。
個人と国家に対する考え方として、次の二つがある。 �仝朕佑里燭瓩帽餡箸�ある。(個人主義国家観) ��国家のために個人がある。(全体主義国家観)
たとえば�,鯊緝修垢襪發里箸靴董▲�ントの個人普遍主義をあげることができよう。カントは国家を私的なものと考え、個人を公的な存在と考えた。これに対して�△梁緝充圓離悄璽殴襪蓮�国家こそは普遍的な価値であり、人類史の目的だと考えた。
国家を個人の幸福を実現するための手段とみる立場に立つ人たちには、国家とは一つの幻想に過ぎないと考える。国家のために生きることが道徳的なのではなく、個の中に普遍性をもとめ、個を最大限発展させることが正しい生き方だということになる。
こうした個人主義の原理は、近代市民社会の原理でもあった。しかし、彼らも人類が国家という私的な幻想から解放されることで、たちまちこの地上に平和がもたらされると考えたわけではない。国家という規範を失うとき、個と個の野蛮な争いが日常茶飯事となるからである。
そうした理由から、国家はやはり必要な存在だと言える。ただし、ここで必要とされる国家とは、個を圧殺するような幻想的イデオロギー国家ではなく、個人の生活を安寧たらしめるための、共生的な相互補助組織としての共同体であるべきだ。
国家は神のようにそれ自体が価値の源泉や実態であってはならず、あくまでも個々人の生活の安寧と幸福に奉仕するものでなければならない。そのことを、国民の一人一人が自覚できるようにすること、これが公民教育の使命ではないかと思う。世界に開かれた市場原理に立脚した風通しのよい、民社的な市民社会を、私たちの世代の目の黒いうちに実現したいものだ。
|