橋本裕の日記
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| 2001年05月16日(水) |
王様を欲しがるカエルたち |
イソップ物語に「カエルの王様」の話がある。支配者がいないのを気に病んだカエルたちが、ゼウスに「自分たちにも王様を授けて下さい」とお願いしたところ、ゼウスはこれがよかろうと「木片」を沼の中に投げてよこした。最初はありがたがっていたカエルたちも、ただ浮かんでいるだけの木片に失望し、「もっと立派な王様と取り替えてください」と改めて、ゼウスに要求した。そこで、ゼウスは「水蛇」を沼に投げてよこした。カエルたちはこの恐ろしい水蛇に残らず食べられてしまったという。
イギリスのトマス・ホッブスは「国家」を「旧約聖書」にでてくる怪物「リヴァイアサン」にたとえたが、「イザヤ書」ではこの怪獣は「海蛇」として描かれている。ユダヤの民話では、神がこの怪獣を砕き、その皮膚で聖都を覆うテントを作り、その肉を美味な料理ととして信者たちに与えたという。
経済学者の竹内靖雄さんは「国家と神の資本論」のなかでこれらの話を紹介して、「リヴァイアサンとしての国家は本来国民を取って食うことのできる恐るべき存在であって、やさしい保護者であると考えるのはまちがい」だと述べている。
しかも、怪獣は一匹ではない。地上に何匹ものリヴァイアサンが存在し、食うか食われるかの闘争を続ける。とくに16世紀に国民国家というリヴァイアサンが登場してからは、覇権闘争が日常化した。国民の租税はこの凶暴なリヴァイアサンにとってなくてはならない餌である。リヴァイアサンの最大の好物は貨幣と人肉だという。
それでは、どうしてこのような恐ろしい怪獣「国家」が生まれてきたのだろうか。ホッブスは「人間は自然状態において、お互いに敵になり、食うか食われるかの戦いをよぎなくされる。そこで自分たちの共通の支配者として一人の王様を作り出した。そして自分たちの『自由と独立』の権利(自然権)を彼に委ね、彼に従属することで、自分たちの平和と安全を作り出そうとした。これが国家の起源である」と考えた。
しかし、竹内さんは「自然状態の野蛮」を前提にしたホッブス流の社会契約論はフィクションに過ぎず、ポッブス以来の定説となった「支配し戦うリヴァイアサン」という国家観も、その起源と本質から見直して、プラトンが「国家論」で展開したように、「国家は市場から生まれた」と考えるべきだという。そして岡田英弘が『倭国の時代』(中央公論社)で展開した次のような説に賛意を表している。
�� 交易から都市と国家が生まれた。 �� 王や貴族の起源は市場にある。 �� 交易する人は農耕する人と区別される。 �� 市場に「朝廷」が出現する。 �� 租税は市場への入場料から生じた。 �� 常設の市場が都市国家になる。 �� 公用語・共通語は市場から生まれる。 �� 中国という国家の実態は一大総合商社であった。 �� 中国は民族国家ではなく統合商社システムである。 �� 朝鮮や日本は中国の商業ネットワークの末端に位置していた。
ホッブスの『リヴァイアサン』を書いた頃、まさにヨーロッパは覇権の時代だった。その後産業革命や植民地戦争、帝国主義の時代が続き、まさにどう猛な「国家」たちによって、地上に殺戮が繰り返された。こうした血なまぐさい現実が「国家=リヴァイアサン」というフィクションに現実味を与えたことは確かだろう。
ちなみに、リヴァイアサンの凶暴性を実感するために、データーをいくらか上げておこう。竹内靖雄さんの本によると、ローマ帝国の英雄シーザーが殺戮した人間の数は30万人にのぼり、これはナポレオンに匹敵するということ。21世紀になるとナチスドイツが600万人ものユダヤ人をガス室で虐殺し、日本軍は2000万人ものアジア人を死に至らせた。第二次大戦全体での死者は1億人を越えると推定されている。
国家の凶暴性は外部ばかりでなく国内にも向けられる。むしろ本当に怖ろしいのはこちらの方かも知れない。スターリンの粛正は4000万人にのぼることがモスクワの「論争と真実」誌があばいている。中国の場合も、文化大革命の時代、2000万人の犠牲者があったと推定されてる。おそるべし、国家、リヴァイアサン。
21世紀になって、私たちはプラトンの提出した「市場国家」という原点に立ち戻って、もう一度新しい国家論を構築すべき時なのかもしれない。そして、こんなに野蛮で、恐ろしいリヴァイアサンに一刻も早く死の宣告を与えたいものだ。少なくとも私は、おろかなカエルたちの二の舞にはなりたくない。
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