橋本裕の日記
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| 2001年05月14日(月) |
議員内閣制は君主制の名残 |
共産党の下田議員が参議院本会議で、「首相公選制」に反対の弁論をしている。下田議員に限らず、多くの識者や学者も主に次の二つの理由をあげて、「首相公選制」に反対している。そこで、まずこの点について、反論してみたい。
�‘蛤朮修良坩臓´�議会と対立する可能性
まず、「�‘蛤朮修良坩臓廚呂燭靴�にある。国民の直接選挙によって選ばれた首相には権威が生まれる。権力も強化されるだろう。しかし選挙は一回限りにものではない。4年後に再び洗礼を受けるわけだし、途中でも国会による弾劾裁判は可能である。近いところではフイリピンやアメリカの前大統領の例がある。こうした漠然とした不安を理由に、「指導者を直接国民の手でえらびたい」というしごく当然な国民の要求が否定されてはたまらない。
次に「��議会との対立する可能性」だが、これは当然あり得る。しかし、これはむしろあってしかるべきものではないのか。議会政治はイギリスで生まれたが、これは権力者である王様の専横を押さえるための装置だった。そもそも権力者の横暴を押さえ、その政策を批判することが、議会の役目なのである。権力者と対立しない議会など、その名に値しない。
議員内閣制の場合、首相は議会で選ばれる。したがって、首相と議会が対立することはまれである。そして、両者は癒着して一体化し、政策に対する批判も少数派の野党による形式的なものとなる。首相は指導者や権力者ではなく、単なる調停者であり、悪くすると名誉職のごとき飾りものになる。そして議会との連合政権は権力の司令塔や中枢部を持たないまま、空洞化して腐敗する。相互批判のない体制は堕落して、亡びるしかない。
したがって、�,鉢△呂茲�考えてみると、裏腹の関係にある。独裁化を阻止するために議会があるのであって、また議会が健全な批判勢力である以上、独裁は起こらない。「対立があるから不都合」なのではなく、「対立があり、相互批判と、権力チェックがあるるからこそ好都合」なのである。
ついでに、これは自民党の議員からよく出される、「�E傾沈�となじまない」という批判についても考えてみよう。公選首相と天皇と二人も元首がいては困るということだろう。しかし、日本の天皇制の歴史を考えてみれば分かるように、天皇はあくまで象徴であって、権力者ではない。権力と権威、政治と文化を使い分けるこうした日本的伝統からしても、両者の存在は違和感なく受け止められるだろう。
それでは、そもそも「議員内閣制」とは何者か。これは実は、王権に対する戦いの産物なのである。もともと首相とは王様の臣下の中の第一人者(プライム・ミニスター)でしかなかった。しかし王様の強力な王権に対抗するため、貴族たちは自分たちの中から首相を選ぶことを要求した。したがって、議院内閣制は君主制のもとで、君主の専制を許さないために生まれたものである。
もし天皇が専制君主なら、これに対抗するため「議院内閣制」に固執することも選択肢に考えてもよいが、君主制に逆戻りするのでなかぎり、有効な制度だとは思えない。共産党はいまだに日本が専制君主制の国だと思っているのだろうか。
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