橋本裕の日記
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| 2001年05月05日(土) |
書くことは「格闘技」である |
作家の渡辺淳一氏が「文章を書くことは格闘技だ。気力の充実がなければ書けない」と随筆の中で書いている。「書くことは格闘技だ」というのは、とてもよくわかる。よい文章を書こうとすれば、体力や知力をふりしぼらなければならない。書くことはかなりの「重労働」だからだ。
私の好きな志賀直哉の短編小説の一つに、「雨蛙」という作品がある。直哉がこの作品を書いている頃、尾崎一雄が下の部屋で寝ていると、地震のような音がして、家が揺れる。それは二階で直哉が物を書いている最中に興奮して歩き回る音だったという。そのころ直哉が日記にこんな事を書いている。
「作家は書くことで段々と人生を深く知るより道がない。書いてみて初めて自分がそのことをどれだけ深く知っていたかが判然としてくる。書いてみて如何にそのことが本統の行いでなかったかという事が分かって来る。深く書いてみることが必要だ。深く書いてみなければその事は分からない」(大正15年2月8日)
書くことがつらい重労働だとしても、その苦しみを補って余りある喜びがそこにある。だから、作家は文章を書くことを止めないのだろう。それではその喜びとは何かと言えば、それは「真実を発見する」ことの喜びだ。直哉の言葉を借りれば、「物事を深く知る」ことの喜びということになる。
しかし、書くことは単に人生の真実を知るためのものではない。直哉が言うように、それは「何が本当の行いか」ということを明らかにすることでもある。より善く生きる道を求める努力でもあるのだ。「書くことの喜び」は、つまるところ「より善く生きる喜び」である。そして、私たちがより善く生きるためには、ときには本気で「人生と格闘する」ことも必要である。作家にとって、それが「書く」ということなのだろう。
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