橋本裕の日記
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2001年03月14日(水) プラトンの予言

 プラトンによれば、国家は自然な傾向として、次のように変遷するという。

�� 王制
�� 貴族制
�� 民主制
�� 独裁制

 以下はプラトンの主著『国家』からの引用である。
「<自由>こそは、民主制国家がもっている最も善きものであって、まさにそれゆえに、生まれついての自由な人間が住むに値するのは、ただこの国だけである。

 そのようなことへのあくことなき欲求と、他のすべてへの無関心が、ここでもこの国制を変化させ、僭主独裁制の必要を準備するのではないだろうか?

 民主制の国家が自由を渇望したあげく、たまたまたちのよくない酌人たちを指導者に得て、そのために必要以上に混じりけのない強い自由の酒に酔わされるとき、国の支配の任にある人々があまりおとなしくなくて、自由をふんだんに提供してくれないような場合、国民は彼ら支配者たちをけしからぬ連中だ、寡頭性的なやつだと非難して迫害するだろう。

 支配者に従順な者たちを、自分から奴隷になるようなつまらぬやつらだと辱めるだろう。個人的にも公共的にも賞賛され尊敬されるのは、支配される人々に似たような支配者たち、支配者に似たような被支配者たちだということになる。このような国家においては、必然的に、自由の風潮はすみずみにまで行きわたって、その極限に至らざるをえないのではなかね?

 このような状態のなかでは、先生は生徒を恐れて御機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様の態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て頓知や冗談でいっぱいの人間となる。

 すべてこうしたことが集積された結果として、国民の魂はすっかり軟らかく敏感になって、ほんのちょっとでも抑圧が課せられると、もう腹を立てて我慢ができないようになるのだ。というのは、彼らは君も知るとおり、最後には法律でさえも、書かれた法であれ書かれざる法であれ、かえりみないようになるからだ。絶対にどのような主人をも、自分の上にいだくまいとしてね。僭主独裁制がそこから生まれ出てくる、かくも立派で誇り高き根元にほかならないのだ」

 日本は戦後、まがりなりにも民主主義の体制を作り上げた。しかし、いまその体制が崩れようとしている。そうすると、このあと日本が行き着くのは、独裁政治であろう。プラトンのこの文章を、現代日本への警鐘ととりたい。


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