罅割れた翡翠の映す影
目次|過去は過去|過去なのに未来
人の心って、その人をを中心として泡の様になってると思う時がある。
泡には色がそれぞれ付いて居て、その色を通して世界を感じてる。 世界に存在するどんなモノを見るにも泡に付いた色のフィルターを通る。 その色に染まった世界を、僕等は感じている。 共有しながら、固有の世界を形造る。
他人の心を理解しようと思うとき、 そこには自分と相手、二重のフィルターがある。 色は混じり、光は乱反射し、屈折して形を変える。 そして、その崩れた形を真実だと思い込んでしまいがちになる。
そして、形が違うと判ると、その存在ごと否定しがちだと思う。 結局、正確な形など判らないから。 判らないのは恐いから、否定する。
他人を正確に理解するのは知らない事を正確に把握しようとするようなもので。 判らない、というか運任せのように僕は思う。 二重にある七色の泡フィルターの向こうに在るモノを、 形、色、質感、大きさや重さまで正確に把握出来る? 天文学的な数字の確立、正に運任せじゃない。
だから、いちいち正確に理解しようと思わなくて良いと思うんだ。 時には必要でも、それには途方も無い時間と労力、そして覚悟が必要。 判らないままでもいいじゃないか。 というより、はっきりその形を確定させなくてもいいんじゃないか。 法律のようなもので、解釈によって幾らでも形を変えてしまう。 変わるパターンやケースを知っておくのは重要。 でも、一つに確定させてしまうのは愚の骨頂。そんな感じ。
…でも、やっぱ判らないままにしとくのは結構骨が折れる。 まぁ、人生の生き方としての一つの目標として、僕は考えてる。 理解しがたいものでも、知っておく。 そして、その存在を一つの在り方として認めておく、心にとめておく。 その内、ふっと判るかもしれないんだし。
…長文書いてると、頭痛くなる。 知恵熱かしらん。 でも止まらないのさ。 読んでくれた方、ありがとう♪
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