罅割れた翡翠の映す影
目次過去は過去過去なのに未来


2002年04月10日(水)

みんな、優しいからこそ彼らが傷付くのが見ていられない。
そんな時はない?

人間、誰だって優しい時も在れば嫌な顔する時だって在る。
でも、こうやって普通の環境で生きてる限り、
本当に悪意を持って接してくる人間は極僅かな訳で。
つまり、だいたいみんな優しいんだなぁって思う。

すっごく素直じゃない優しさも多いけど、
気付いた時にそれは凄く微笑ましかったり可笑しかったり。
卑屈なほどひねくれて迷惑掛けるんじゃしょうがないけど、
それでもその行動の奥に優しさを感じるといたたまれない気持ちになる。
…ならない?
僕はなってしまうんだけれどね。

僕は凄まじくひねくれてるから。
優しくするにしてもそう感じさせたくないなんて考えてしまったり。
だって、そう気付かれるのが凄く恥ずかしいから。
せめて迷惑がかからない様に、でも気付かれないように、
最大限僕に出来る事を、相手の容量を越えた最小限、手伝う程度。

それがもっとさりげなく、気が利いて出来る人を見ると何故か恥ずかしくなる。
そして密かに対抗意識を燃やしてみたり。

でも、優しさもエゴの内なのかな。
行き過ぎるととたんにそれが表に出てくる気がする。
優しさをどこで寸止めするか。
それもやっぱり優しさと言うか気の利きようと言うか。
…あう、このままだとこの議論は無限ループしそう…。

バランスの取れた優しさを身に付けたい。
そしてそれを支える強さが。
強さは例えば身体的なものであり、精神的・社会的・経済的なものでも在り。
でもそれはやっぱり手段でしかなくて、目的じゃない。
じゃ、優しさは手段なのか目的なのか。
『手段』って言っちゃうと正解のようで何か煮え切らない感じにならないかい?


Jade |MAILBBS

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