[ 感謝祭(サンクス・ギビング・ディ)の歴史 ] 2001年11月21日(水)
イギリスの清教徒団、ピルグリム・ファーザーズが、アメリカ大陸に信教の自由を求めて、「メイフラワー号」でマサチューセッツ州プリマスに着いたのは、1620年12月26日のことでした。
上陸した年の冬は厳しく、さまざまな困難にも見舞われ、上陸当時100名余りいた清教徒の大半が寒さや飢え、病気などで命を落とし、春まで生き残ったのは50名ほどだったそうです。(18名いた妻のうち、生き残ったのはわずか2名と伝えられています。) また、彼らは自分たちの数が減り勢力が衰えていくのを、インディアンたちに知られるのを恐れ、墓標も建てられなかったといわれています。
しかし、生き残った者たちは、インディアン達から狩猟や農耕を教わり、春夏を精一杯働き、その労苦は報いられました。
秋の収穫の時には一同が教会に集い、会食を催して、収穫を喜び、神に感謝を捧げました。この席には、入植者達の恩人であったインディアン達も招かれ、七面鳥や鹿の肉を持ってきたそうです。この日の用意されたごちそうはかぼちゃと七面鳥で、清教徒の一団とインディアンたちは、三日間、戸外のテーブルに食物を山と積んで、神に感謝を捧げ、讃美歌を歌ったということです。
これが今日、アメリカの年中行事となっている感謝祭の始まりです。
現在でも、この日教会では特別の礼拝が行われていますう。街中では大きな七面鳥の山車がパレードをし、一日中賑やかです。家庭でのごちそうは七面鳥やパンプキン・パイが伝統的です。
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