初めて婦人公論という雑誌を買った。三浦しをんのエッセイがあったので。 特集は「きょうだいは選べない」 三浦しをんの他にお笑いの千原兄弟、まんがあさりちゃんの作者姉妹、くりぃむしちゅー上田の兄とダウンタウンの松本の兄の対談などあり。
三浦しをんのエッセイできょうだいとは 「同じ釜の飯を食い、同じ親の理不尽に苦しめられつつ大人になった人間がいる」 「きょうだいというのは、まあ、すでに存在するんだから仕方がない、と受け入れるしかない相手なのだ」 「もし弟がいなかったら、私はもっとさびしい人生だったろう」 「弟のことを思うと、私は自分がどこかにつながっているような気がするし、いままで生きていた時間が幻ではないと証明されるような気がする」 とある。
その中で共感できたのが「同じ親の理不尽に苦しめられつつ大人になった人間がいる」と「もっとさびしい人生だったろう」である。
私的なことだが私にはきょだいがいる。 仲が好かったり悪かったり、喧嘩したり仲直りしたり、憎んだり感謝したり、ときょうだいという理不尽にもお互い苦しめられた仲である。 どの親子でも一緒だと思うが、子供は幼少期の狭い家族関係を全世界として成長し、親の理不尽に圧迫されて過ごす。その中で一人で立ち向かうか、きょうだいで一緒に立ち向かうか。
私たちきょうだいは、一緒に理不尽な親に立ち向かい生きてきた。 私一人では立ち向かえなかった。だから、すごく助けられたり、かなり頼り切ってしまったのは私の性格故で、それがきょうだいというものに特別な感覚をうんでいるのかもしれない。 なぜなら、きょうだいがいなかったら私という存在は、ひどい人生をおくっていたろうと思うから。
私にとってきょうだいとは、私の存在を同じ環境の下、切磋琢磨に鍛えて生かしてくれた存在で、私ひとりではないという安心をもたらしてくれている。
ほんとはお互い相容れない性格なので、きょうだいという血縁を嫌いだと思われているだろうが。
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