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4月24日→「純愛中毒」雑感をUP(ネタばれ注意)
冬のソナタ雑感もどうぞ。
2003年03月21日(金) |
Have a good die!! |
落ち着いたところで「僕の生きる道」感想。改めまちこ(こんなときに何を)
「僕の生きる道」最終章。 そこに映るすべてのものに涙腺を刺激されました。 静かに死への準備を整える二人。それはもうなんていうか80過ぎの老夫婦のような。そんな重さが漂っていました。 おじいちゃんおばあちゃんになってもお互いを名前で呼び合うような、そんな夫婦になりたいと二人は言っていた。そして、50年分愛し合おうとも。それは、余命一年という限られた時間の中でしっかりと叶えることができた。そんな二人を素敵だと思った。 そこで思い出してしまうのがやはり直江庸介。直江先生は言ってた。「彼女から笑顔が消えるのが怖い」と。 みどりさんが中村先生に向ける優しい微笑みを見ながら、大丈夫だったよ、笑顔は消えなかったよ、と直江先生に語りかけてた。 怖がりで弱虫な直江先生を思ってまた泣けてきたりした。 そして最後。「砂肝」と言って静かに息を引き取った中村先生。大好きで叶うはずもなくて万年片思いだったであろう最愛のみどり先生の隣りで、静かに。 「ああ、あの時、砂肝ばっかり食ってた、可愛いのにちょっと変わってるチャーミング(死語?)なみどり先生が僕の奥さんになったんだなあ…。僕って幸せ者だよなあ…」 …そんなことを思いながら死んでいったのだろうか? と書きながらまた涙が出そうになったが。 もうこの辺りは号泣モードだったからな。止まらなくて明日目腫れるからまずいよなあと思っていたら案の定次の日、友達に「どうしたの?目?」て聞かれちゃったし。で、「実はドラマ見て号泣しちゃってさあ」と言ったらその友達、 「え?ドラマって、おしん?」 ………て速攻聞かれたのにはビックリしたが。ちーがーうーしーーー(苦笑)
話しずれましたが。死んでしまいましたね中村先生。…死んでしまいました。もうどこにもいません。て、そもそもフィクションだからいるはずないのですが。 でも、やっぱり死んで欲しくない。何回何回もバカの一つ覚えみたいに言ってますが、死んで欲しくない。 「僕の生きる道」最終章のその後で「黄泉がえり」中村先生バージョンでやって欲しいくらい。 あんなに素敵な夫婦の方割れがいなくなっちゃったなんて、ここにいたはずの人がいなくなっちゃうなんて、耐えられない。 私だったらどうだろう? 依存と愛をとっちかえして考えていたらダメだよね。相手がいなくなったら心が壊れちゃう。 「生徒諸君」のナッキーのお母さんが娘でナッキーと双子のマールを亡くした時のように。って、またマニアックな。 けど、あの漫画。読んで泣けて泣けてしょうがなかったのを覚えている。マールがなくなるシーン。お母さんがナッキーをマールと勘違いするシーン。そして、マールの死を受け入れナッキーの存在をもう一度認めるシーン。 赤ちゃんの時に10歳になるまで生きられないと言われ、そうはさせるかとお母さんは必死に頑張って。頑張って頑張って余命をいくばくか延ばす事ができて。それでも死んじゃって。中村先生のように、余命より少しは多く生きることができたけれども、それでも死は訪れてはならないものだった。だからお母さんの心は壊れた。マールがすべてだったから。 死は人の心を壊してしまう。あってはいけないものなのに世界を牛耳っている死。嫌なやつだ。
「僕を忘れないで下さい。…でも、僕に縛られないで下さい」
アンタそんな難しいことを…。と思いましたが、これが一番相手を思いやる遺言だなと今となっては思います。
いいドラマを見ました。 視聴率目当ての衝撃を与えるだけの死は不愉快極まりなく、最後に死ぬドラマは大嫌いな私ですが(例:「空から降る一億の星」「眠れる森」「ピュア」(←古))、このドラマは同じ死は死でもハッピーエンドな余韻を残す死でした。 やっぱり生きていて欲しかったが(まだ言うか?)。まあでも。
Have a good die!!
てことで。 本当に。死を急ぐ人たち皆に見て欲しいね。死ぬことじゃなく生きることを教えてくれたドラマだから。
追伸:
せかいがへいわであってほしいですね。
すまっぷのなかいくんのことしのもくひょうもたしか「せかいへいわ」てゆってたしね。
bear
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