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2005年01月07日(金) 制作意図。
常に自己嫌悪を抱いて生きてきた私は、 自分を押し出すと言うことにとても抵抗があった。
ただ何となく描く絵や何となく作る作品ならいいけど、 課題で出される作品は、講評会で色々と突っ込まれる。
ここをこうした意図は? 何がしたいの? どうして?
いつも言葉に詰まる。
言っても通用しないだろうと思って言葉を飲み込んでしまう。
いや、そもそも私の本心は何なのかがその時は全く分からなくなる。 何を考えてるの、って。 私が聞きたい。
私の中の何が大切なの。
私はどうして「造る」の。
人に見せられないきもちが、少なからず作品に写されてしまう。 知られたくないこと、醜い心、後ろ向きな心、弱い心が。
そういう心が作用して、 「ああいうのを作りたいな」って思いつくこともある。
というか、自分の性格の大半が後ろ向きなので、ほとんどそう。
前に、「みんなで楽しむために」… っていうコンセプトで作った作品があったのだけど、 あれは私の本性じゃない。 その場のテンションと成り行きでできたもの。
課題のスタートが「好き」な飲み物からだったから、 プラス思考に持っていくしかないのはどうしようもない。 アイデアとか(簡単なことしかしてないけど)褒められたけど、 自分とのギャップが大きくて好きじゃなかった。
「痛い」をテーマにした時のほうがずっとしっくりきてた。 (うまくいかなかったけど・・・。。)
でも、美術史の先生に、 「みんなも自分も楽しませることが大切」と言われ、 どうしていいのかよく分からない。
作家さんはみんな、意思をしっかり持って、 相手に伝えることができなければならない。 独りよがりじゃダメ。 「造ることが楽しい」だけでは通用しない。
作品で自己主張するということ。 私にとって、とても大きな課題。
自分が嫌いなままじゃ、どうにもならないのかな。
最近同学年が集まると必然的に就職とか進路の話になるし、 なんか…やだな。
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