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2003年04月11日(金) ひとりごと。
どうでもいいの。
免停喰らって家裁行きだとか、 友人に春が来ただとか。 (↑てか、2月頃メールでしつこく詮索してきた人らしい。さすが切り替え早っ)
全部「あっそう。」で片付けられる。
私には関係ない。 関心も無い。 メール返す気にもなんない。 人様がどうしようが私には関係ない。
最近、一人で 強がってない? 意地張ってない?
馴れ合いは御免だ。 面倒なコトは避けたい。 難しいことはしたくない。 大勢の中の一人でいたい。
頑張ってないけど、頑張り過ぎてるような気分。 自分への試練。 強がりではなく、本物になるための。
…。
毎晩ベッドで反芻する想いはどこへ送ればよいものか。
ホントは『どうだっていい』。 こんなのよくないのはわかってる。
でも、人間嫌いは治らない。 一人一人の人間に対して好きか嫌いかは別として。
漠然と、人間という生き物に嫌悪を感じている。 その筆頭は私自身なのだけど。 よくわからない。
嫌悪していても、私が生きている以上色々消費せざるを得ないわけで。 社会的に影響して、関わらなければやっていられない。
パソコンを触れば電力を、 息をしていれば空気や食べ物を、 所属していれば人間関係を。 お金も。
昔から、 自分のため、自分に関わるものが勿体無くて、哀れに思えて仕方がない。 食べるという行為も、よく躊躇する。
一人暮らしに憧れはするけど、 きっと実際にしたら、栄養失調にでもなるんだろう。 食べなくたって、自分のことだからどうだっていいや、って。
本当に大切なものってなんだろう。 人生で必要なものって何があるんだろう…。
大切なヒトは大切だけど、 自分と関わり合いを持つことが果たしていいのか、疑問に思う。
…そこまで自分の価値を否定するのか。
ああ駄目だ、自分の中身に一貫性がない。 前向きな時も後ろ向きのときも、どっちも自分(ホンネ)じゃない。 演じてるの?
独りよがりだ。
所詮、平和に甘えた戯言。
自分といういち個人を尊重されたいのか。 大勢の中に紛れてしまいたいのか。
きっと、両方。
大量生産+大量消費+効率重視の世の中は、 モノだけじゃなくてヒトも均質化しようとしてる。 それってどうなのかな。
発作的な酷い鬱ではないけど、 生きていく上でこんな「我が道を逝く」のでは人様にさぞ迷惑だろう。
たまには泣ければいいのに。
14:20 12日11:27一部修正。
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