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2007年09月16日(日) 家事と家族

先週は、心が渇いていた。というと大げさだが、一週間に一度も、料理が作れなかった。外食を一週間続けると、確実に体がおかしくなる。よく考えてみれば、食べ物が体を作るのであり、私のほぼ全部は体によりできているのであり、ということは、食べ物がおかしくなれば、私がおかしくなるに決まっている。

今日は昼過ぎに起きだして、徹底的に家事をした。毎週思うことだが、家事をすると、心が潤う。家のほこりを払い、机や本棚、台所の床を水ぶきをして、畳に掃除機をかける。1週間分の洗濯物を洗う、干す。いくら美術館や映画館で立派な芸術を鑑賞したところで、これをやらなければ絶対に満たされない。きれいになった部屋で読書をして、その後書評を読むのが好きだ。

今週は松岡セイゴオセンセイの本を読んでいた。本の中で、「お釈迦様」という言葉が出てきて、なぜかふっと、おばあちゃんちの仏壇を思いだした。

私にとって最初に頭に浮かぶ「おばあちゃんち」は、母方の、大宮にある家のことだ。おじいちゃんは私が幼い頃になくなったから、そこを「おじいちゃんち」とは呼ばなかった。お盆とお彼岸には、母に連れられて必ずおばあちゃんちに行った。大宮のルミネでフルーツを買って、母はそれを仏壇に供えた。私にとっていとこがいる日は“あたり”で、そうでない日は退屈だった。だらだらとお菓子を食べたりお茶を飲んだりして母が「帰るよ」というのを待った。

母はいつも、おばあちゃんと世間話をした。あそこの娘さんはまだ結婚しないだとか、あそこのじいさんが競輪で財産すべてうっぱらっただとか、あそこのばあさんが亡くなっただとか。中学を超えたくらいから、2人が話す内容が私にも分かるようになってきた。おばあちゃんは気が強い人だったから曲がったことが嫌いで、言うことはとても保守的だった。家ではどちらかというとヒステリックに見える私の母が、たいていは聞き役に回って、中立的な返事をしていた。私は、女2人のゴシップを聞くのがだんだん好きになった。母の姉妹(母は4姉妹の3番目)が来ていると、そのおしゃべりの輪はさらに大きくなった。

おばあちゃんちに一番最近行ったのは、おばあちゃんのお葬式の日だった。おばあちゃんが亡くなってから、私はあのお仏壇を見ていない。おばあちゃんがおじいちゃんのように、あのお仏壇に当たり前のようにおさまっていると思うと、とても不思議な気持ちになる。おばあちゃんが死んでしまったことが、私はまだあまり信じられない。おばあちゃんはおばあちゃんのまま、心の中に、なんとなく生きている。いつもいつも思いだして涙が出るわけではなく、でも全く忘れる訳でもなく、ふっと、記憶に甦って、また消えていく。

おばあちゃんが施設に入った時、なぜ私はもっと、会いに行かなかったのだろうか。確かに私は、それを避けていた。恥ずかしかった。それに、あの毛布が幾重にも重なっている病院のベッドが、なんだか嫌だったのだ。

今日、NHKスペシャルを見ていて、そんな自分の心にあったずるい気持ちの周りをばらばらと暴かれたようで、恥ずかしくて恥ずかしくて泣いてしまった。本当に、いい番組だった。途中で辛くてチャンネルを変えたけれど、やっぱり戻してもう一度見た。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/070916.html

家族の暮らしは、別に毛布が重なったベッドの上だってちゃんとできるんだと思う。私はこれから何があっても、それを忘れてはいけないんだと思う。


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