2007年07月04日(水) |
偽装請負について熱弁 |
今週の頭から体がだるく、家に帰っても何もやる気が起きなくてうだうだし、洗い物も何もせずに新聞だけ読んで寝る、読んで寝ればまだよいものの夕刊を机の上に散らかして寝る、といった不安定な日々が続いていたが、今日になって突然体が軽くなった。「なんだこれは」と思ってカレンダーを見たところ、なんと排卵(予定)日。そういえば今日、うんちくんが出た。これが合図だったのだと気付く。
私が機能不全だったこの数日、もっくん(最近カレシをこう読んでいる)は終電で帰宅した後一人でゴハンをつくって食べ、切れていた台所洗剤を補充して洗い物をし、洗濯物をベランダから中に入れてさらに部屋干しトップまで買ってきてくれた。人間として、スゴイと思う。安定感がある。
体が軽くなったのを機会に彼に恩返しをしようと、洗い物をし、送別会でもらった花を家中に飾り、文机とちゃぶ台を磨く。新しい麦茶を作って冷蔵庫に入れ、週末自分がいないのを見越して洗濯もした。色々終えたら余裕が出たのか、最近読んでいた朝日新書『偽装請負―格差社会の労働現場』についてもっくんに話していないことを突然思い出し、おもむろに語り始める。
偽装請負については朝日新聞の一面で何度か見ていたが、この新書を読んで、色々と驚いた(驚きたい方は、読んでみてください。一日でさくっと読了できます)。企業のコンプライアンス、倫理観、労働者の権利云々もさることながら、私が最も感じたのは「ジャーナリズムの役割」みたいなこと。キヤノンや松下、シャープといった優良企業が手を染める違法行為に対して、はっきりと「NO」を出せる力が、まだ朝日新聞の一面にはある。これはすごいことだ(もちろん朝日の記事が言っていることが、すべて正しいとは言い切れないことは前提です)。
日本企業がもうかるなら国だってうれしいし、もうかるためなら法律だって変えちゃおうよ、というのが資本主義社会の自然な流れだろう。朝日が、それを止めたのだ。
最近「マスコミ(特に自分の仕事)って、結局いろんなものの周辺を行ったり来たりしてお金をもらっているだけだな」という実感が強くなっていたので、そうか、1つ(あるいは2つ、3つ、4つと連なることで)の記事が、社会を変える力があるんだというのは、今更だがブレイクスルーだった。こういう役割を新聞が担い続けてくれるのならば、彼らが朝日新聞という後ろ盾のもとに、自分の署名を入れて怖がらずにキヤノンや松下に文句を言い続けてくれるのならば、記者の年収が1億だろうが、年功序列で終身雇用だろうが、それは納得してもいい気がした。自分の仕事に対する姿勢にも、影響することだ。
上記のようなことをばばーっと洗濯物をたたみながら話して、もっくんはうんうん言いながら聞いてくれ、さらに「そんなこと、就活の時に知っておくべきじゃないの」とぶつぶつ言いながら、ぽつぽつ意見をくれた。私は、だからやっぱりSちゃん(通信社勤務)は仕事を辞めずに続けるべきだ。価値ある仕事だと言ったが、「そんなことより、自分が陶芸とかして幸せに暮らす方が優先だよ」とまたある面から言えば非常にもっともで、難しい答えが返ってくる。
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