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2007年01月19日(金) 深夜のラジオで聞いたこと

こたつで眠ってしまい気付けば4時半だった。すぐ布団に移って目をつむり、ラジオのスイッチを入れた。ラジオ深夜便「こころの時代」。深夜便は5時までの放送だからもう番組の終盤だ。おじいさんの声が話している。だいぶ歳をとった、しゃがれた声だ。少し聞き取りづらい。

「丘が見えた。と思って少し安堵しましたらね、後ろからわーっと、人の群れがやってくるのが見えたんですよ。それが、ソ連軍だったわけです。その時はソ連軍がくるだなんてこと、思ってもみなかった」

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にあった話に似ている。そう思って何気なく耳をかたむける。彼は先を続けた。

「もう、そこからは動物的な感覚でしか動いておりませんでした。私の前にキャタピラが来て、『あ、やられる』と思って反射的によけたんです。そうしましたらびしゃっ、と泥をかぶりまして。キャタピラが通り過ぎたあとを見てみると、キャタピラにつぶされた無数の死体がまわり中に転がっているんです。そこで初めて、私がさきほどかぶった泥は、キャタピラに踏まれて飛び散った、人の肉片だということがわかったんです。私の戦争の記憶で、いちばん覚えているのは、あのときのキャタピラです」

涙が、小便のように垂れ流されて出てきた。止まらなかった。

おじいさんの声は、説明を続けた。その後、キャタピラの攻撃を避け、生き残った人々が自害していった。母親が幼い子どもの首に短刀を刺し、次に自分の腹に刺し、「死ぬんだよ」と言う場面を彼は見たという。

言葉は終始静かだった。それを聞くアンカー(アナウンサー)も、発音がわかりづらいところを言い換えたり、同じ言葉を繰り返しながらあいづちを打つだけだった。

「葛根廟事件(かっこんびょうじけん)」の話をしているとわかったのは、おじいさんの話が終わり、アンカーが解説を入れたところでだった。おじいさんというのは、葛根廟事件の生還者、大櫛戊辰さんという方であった。

アンカーは最後に、大櫛さんが仲間たちと2000年に木を植えた話をした。
「葛根廟を再び訪れ、追悼のため1000本の木を植えました」
そこで、番組は終わった。


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