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2002年11月18日(月)

(小中学生の読書)感想文は、学校で「批評的な文章」を書くほとんど唯一の機会である。
考えて意見をまとめる訓練になってるだけでも、貴重なチャンスだ。
と優等生的なことをいってみたが、自分の子供時代を思い出してみると、そんなわけないか。
小学生の私がいつも顧慮していたのは「私はどう思うか」ではなく
「大人はどうすれば喜ぶか」だったもんなあ。
(斉藤美奈子「読者は踊る」)

以前「文壇アイドル論」を面白かったと書いたが、これも同じ斉藤美奈子さんの本。
またまたうなりました。

昔の私も、そっくりそのまま同じことを考えていた。

私は中学生まで(小さな小さな町の中で)優等生をやっていたので
読書感想文は毎年県展に出品されていた。
まあ今考えれば所詮「県展出品」どまりなのだが、小学生には“県”て、もの凄く大きいからね。
結構嬉しかったのだ。

私には当時「合格する(学校で一番になれる)読書感想文」を書くテクがあった。

1.戦争、いじめねたの本を選べ
2.書き出しは「」(会話)で始めるべし
3.最後に感動のまとめを

くだらないなあ。
でも本当にこれで書いてたよ。(方法論を本にしたら売れるかしら)
当時はそんなに姑息な感じではなくて、半分無意識だったけど。
無意識に優等生しているところが怖いけど。

小学校五年生のとき、一度だけ県でベスト6人くらいまで残って全国に行けそうになった時があったのだけれど
(自慢話これくらいか)
そのときは1.“ナチスねた”で、2.「ひどい」で始まっていて、3.私たち新しい世代が平和を担っていくのだ、と結んでいる。
三拍子そろった素晴らしい感想文。

ふうん、こうしてみると私は立派にマーケティングができる子供だったではないか、と思う。



ナチスの虐殺の本を何冊も読んでいるうちに、「ひどい」と頭では分かっても
現実味がどんどんなくなり、「アンネの日記」も良くできたフィクションに思えた。

北朝鮮報道を毎日見るうちに、一体どうして彼らがテレビに出ているのかについてあまり考えなくなった。
拉致され、外国で暮らしてきた彼らの、心の葛藤を想像しなくなってしまった。
こんなこと書くなんて変わってるね、ちょっとおかしいよ、と言われるのが実はとても嬉しい。
何故かと言えば、私は変わってもいなくておかしくもないから、
つまりロックのルーツも知らないしゴダールの思想も読み解けない
あまりにも普通に愛されたい自意識過剰な女の子だからだ。

こうして本当の気持ちを書くにはとても勇気がいる。



「本当の気持ち」といいつつネットにのせている時点で
きっと嘘が混じっている。
本当のコンプレックスなど、絶対に口に出せるものではない。



そういうへなちょこなまとめで終わります。
おやすみなさい。


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