エントリーシートを見てもらいに学校の就職課に行ったのだけれど、 カウンセラーの人と話すのは本当に面白かった。 私はこうして自分のことを 「なぜ?」「なぜ?」と暴いてもらう行為が快感なのだ。
もうだいぶ前になるが (と前置きしつつまたこの話でごめんね。最近の、なんて無いのよ) 前につきあっていた人には、 まあ半年以上もこんな「自己分析」みたいなことをやられ続けたわけで、 そりゃあへこみもする(その上ふられもする)よなあと思ったりした。
相手の彼としては職業病みたいなものだったのかもしれないけど 何かを「いいと思った」「きらきらしてる」 などという表現はすぐさま駄目を出された。
「どこが良かったのか」、「自分のどんなところを投影して泣いたのか」 「僕と違ったリアリティが知りたい」と延々問いつめられ 最後には自分で自分が分からなくなって、 本当に良かったと思っていなかったような気もして 「ああ、頭悪い。。。」という泣き寝入り状態になり、 面倒くさいので相手の意見を「うんうん」と聞くほうが面白くなり、 更に面倒くさいので相手の意見を自分の実存と重ね合わせ、 (本当に重なることもあったんだよ) そしてそれがぴったりと重なりあうほどに相手が私に疲れ果て、 振られた。 (ということになっているけど実は不細工が原因説もあり。 そのほうが助かるような、うーん。)
自分の実存、世界の見え方を すっかり頼っていたひとがいなくなるというのは なかなか辛かった。 手抜きできないからね、自分で全部、 もう組み立てないといけないから。 でも結局就職活動の自己PRとは、 そういう組み立てた自分の世界の集大成のような気がする。
とまあ甘くない(痛っ)恋の話も書きましたが、 今日就職課で言われて印象に残りまくったこと。 私がいろいろ不安な点を質問したら、 「なんか、相手によく見られよう、よく見られようとしてるよね」 図星である。だってマーケティングでしょ? ありのままの私なんて 「社会中」のどこにも存在価値はないと、うっすら気づいているから。 本当の気持ちを書いたら落ちると思って。
アルバイトで失敗をした、でも別にそれをばねにして成功していない。 私の人生プロジェクトXじゃないんよ。 次のアルバイトをして、同じような要領の悪さでまた失敗をするだけだ。 これからもそうだろう。 本当に、そうなるだろう。 私はそういう人間だから。 というか日常というのはそういうもので、別に山あり谷ありとか、 失敗の次に成功がとか、そんな綺麗なものではないと思う。 生きて、食べて、死ぬだけだ。
「成功をとってつけたように書くことはないんじゃない? 失敗し続けたことで見えてきた世界はなかった?」 と言われてはっとする。 それならもう、売るほどあるけど。 でも、社会に役立つのか知らない。 本にして売れるのかも知らない。 でも、それで認めてもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。
まあ一枚くらい本当に正直に、 自分が見たままの世界を書いてみようかなあと思った。 あー、でもどうしよ。やっぱ媚びとくべきかなあ。 (ということで本命に書くかは悩み中、本命がどこかも自分で謎)
結局就職に関して思うのは どうにもならなくてもどうにかなるだろうということで、 失業してたら報告するんで誰か食わしてくれ。 最後はだめだめで終わる私。
追記 書いていて思ったけれど、私がこのページで 読書感想文だとかCD感想文だとかを書けなくなったのは 「誰がなんと言おうといい」という信念が持てなくなった結果であると思う。 センスのいい写真集 (最近だとHIROMIXの日記を買いましたわよ。おほほ。) をただ良かった、といって文句を言う人は少ない。 あら、れいこさんはおしゃれですこと、おほほ。ということになるんだろう。
でもこんな私よりも誰がなんと言おうと 「ソフィアが好きだ」、「B'zが好きだ」って きちんと言える人の方がよっぽど偉いと思う。 センスがいいとかクールだとかスタイリッシュだとか、 そんなのにもう魅力を感じない。
友達がアンダーワールドの来日公演に行き、 「前回と同じで退屈だった」と話していて きちんと意見できる(感じられる)のがいいなあと思ったのだ。 フロアが最高に盛り上がっていて、「アンダーワールド様」だったら、 それだけで私はよかったよかった!と拍手するんだろうから。
ガガガspだと文句を言って、 アンダーワールドだと褒める。 springは馬鹿にして流行通信を崇拝する。 私は何様なの? その前に考える課題が沢山ある。
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