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2002年07月01日(月) アンティーク時計と本革の鞄は一生の夢

梅雨が続いている。
洗濯物が乾かない。
バイトに行くのがますます面倒になる。
でもうちで映画を見るには、雨が最適だ。
落ち着くもの。

今日は代官山、恵比須方面に出かけた。
買い物。

(最近の私は十代の頃に比べて洋服に対する執着が
無くなってしまい、
注目のお店を調べる努力も怠りっぱなしで
新宿の伊勢丹、高島屋でちょちょっと済ませてばかりだったなあ。)

という反省を胸に
代官山周辺マップを持って歩きまくった。

一番行きたかった中目黒の「ハイジ」と
恵比須の「マウンテンマウンテン」という雑貨屋さん
(土日、祝しか開いてない!)も見つけたし、
ナショナルスタンダードの路面店や
イルビゾンテという鞄屋さんにも初めて行けた。

収穫はドレステリアでスカートと
ズッカでTシャツ(結局パルコ)、
それから雑貨屋さんでピンバッジ。

本当は眼鏡と、マルジェラのパンツ(ジーンズ生地の)も
欲しかったけれど破産するので我慢した。
一回買い出すと妄想が広がってきりがないねー。

去年の夏にマルジェラを買いはじめた頃から感じていることは
多少高くても形がベーシックで、品質がが良いものは何年でも
壊れるまで着られる(使える)、ということだ。
結果、「大変お得」となる。

事実、去年の春から私は一年中スタンスミスばかり履いているし、
去年のマルジェラのが相当気に入っているので
今年も来年も、冬のコートは買わないように思う。

”ベーシックでいいもの”という言葉自体があまりに頻繁に使われていて、
理屈で考えれば当たり前だから、
「ふうんそうだよね」と流しがちであったが
私の場合それを身を持って実感出来たのは
本当に最近である。

(「浪人時代から一着も服を買っていない」という
男の子の友達がいるけれど、
私が、彼はおしゃれだなあと感じるのはきっと、
流行とは関係ない
何年も使えるアイテムを選んでいるからなのだろう。)

しかし、流行を追わなくなったということは
守りに入ったということだ。
冒険しなくなった、ということだ。
シカゴでTシャツ漁っていた時の、
洋服に対するわくわくするような高揚感、
いい物質がでてる、というあの感じが最近の私には無くなったように思う。
娯楽としては楽しめるのだけれど、
もうアイデンティティにはならない気がする。

でも、今日イルビゾンテで
「いつか一生ものの本革の鞄買うぞ!」と決意しながら
思ったのは、これはきっと一生の楽しみたり得るだろうということ。

楽しみ、娯楽。
それでいいんじゃないかなあ、と思った。
「私には服がある!」「服を着た私が私!」とは思えなくても。
表現や思想から逃れて個人にとって”娯楽のため”にのみ
存在できることこそが、
ファッションの強みのような気もするし。

マークジェイコブスが雑誌(多分「STUDIO VOICE」)で
テロに対する何らかの反応をコレクションで表すつもりですか、
というインタビューに対して
「洋服を表現のツールとは考えていない、完全に娯楽のためだね」
というようなことを言っていたのが大変印象的で、
私はそれに賛成だなあと思ったものだ。

しかしマークジェイコブスの場合、
まさにそれで食べている人の発言であることを考えると
彼の頭の柔らかさ、そのエンターティナーとしての
才を感じずにはいられないが。

御買い物日記から始まってだらだら書いてごめんなさい。
要するに私は、
それがアイデンティティでなくなった今も
洋服を愛しているよ、ということです。
そしてそれにうんちく垂れる職を希望していたけれど
純粋な楽しみを消さないためにやめようかな、とも考えています。


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