明日の朝バイトがないので ジンジャーエール(酒は飲めない)とナッツを買って来て、 本を読みながら 素敵な一人の夜が過ごせる。
前の彼氏が、 「何かを得られない人とコミュニケーションをして疲れるなら ひとりで本を読んでいた方がずっと有益だ」 と言っていたけれど 大変ごもっともな意見だという気はした。
私はそうなりきれる人間ではないけれど。
今日の六限は英会話の授業だった。 私はこの授業の先生が大好きで、 英語を話すために話題をひねり出すんじゃなくて、 コミュニケーションの手段として英語を使うのだということを 実感できる。 楽しいから時間もあっという間だし。 (英語は酷いんですが) 先生はラグビーをやっている体育会系の人で、 気さくで、大らかだ。 でもそれだけじゃないという知性や深さがはっきりと感じ取れる。
生徒は私を入れて二人だけで、とても話しやすい。 もう一人の生徒である女の子も、とても波長が合う。 久しぶりに自分から 「あ、友達になりたいな」という子を見つけた感じ。 素敵な出合いが何処にあるかなんてまさに運だ。
今日は人の性質をあらわす語彙を増やすというのがターゲットだった。 (smartとか、talkativeとか)
最後に「あなた自身は自分をどんな人だと思いますか」、 というディスカッションがあった。 村上春樹も何かのエッセイで書いていたけれど、 私は自己紹介(特に内面について)というのがとても苦手で、 特に語彙が少ない英語で話せなんて不可能に近いよ、といつも思う。
だから必要に迫られると少ない語彙の範囲で 適当に「自分像」を作り上げて話していた。 そういうコミュニケーションに何の意味があるのか私は全く理解できず、 だから英語なんて少しばかり話せるようになったって 本質が話せないなら(完全なバイリンガルレベル)意味がないし、 旅行のためと尊敬されるためくらいにしか役に立たないと思っていた。
でもこのメンバーの授業だと私はなぜか素直になれて、 言葉に詰まってもきちんと説明しようと思えた。 最後には 「私は自分がどんな人なのか分かりません。 なぜなら私は自分のアイデンティティがないからです。」 というような結論を言えたような気がする。
話そうと思う場があるというのはいいことだと思う。 「ひとりでいいや」と思ってしまう自分が 自然に出ていける場所が欲しいなあと思う。
しかし英語は上達するのかしら。 そのへんはやばい。
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