日記
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| 2008年02月19日(火) |
暗闇がくれる光を知るため |
無職期間中、暇なのをいいことに、昔の日記をさかのぼって読んでみた。以前、会社を辞めてしばらく無職期間が続いたときも暇はあったけど昔の日記を読み返すことはしなかった。というより、できなかった。今、読み返せたのはそれなりに時間が経過したからだと思う。とりあえず、就職してからの分は全部読んだ。 大学時代の分は、なんか、うわっ!ってかんじで、結局すぐに読み進めるのを挫折・・・。テンションが違うというか、なんというか。読むと全部削除したくなることが判明。ランダムにいくつか読んでみたところ、「sexは激しいほうが好き」とかぬかしてて、何か飲んでたら吹き出すとこだったよ。そりゃ激しいのもいいだろうけどさ・・・別にそんなこと書かなくてもまったくこの子は。←私 なにしろこの日記はリアル知り合い誰も知らないわけで、だから好き放題書き放題なわけですよ。でも、「日記」とはいえ、読んでくれている「誰か」に対して、話したかったり、聞いてほしかったり、そういう気持ちは多分昔のほうが強かったと思う。 わたしはいまでも相変わらず、自分の気持ちをことばにするのが苦手だけれど。
学生時代はずいぶん昔のことのようで。 何をしていたのか、何を考えていたのか、 ほとんど憶えていない。 一番大きな出来事は、やっぱり就活かなー。 ここ数年は、就職バブルと言われる、売り手市場なんだそうで。 そんなニュースを毎年見るたび、なんだかなーという感じ。 ちょっとうらやましいような気もするけど うらやましがってもしょうがないことだよね。
あの頃 現実という洋服に自分の身体を合わせなければいけないと。次々に生まれる不安に目を背けながら。逃げたかったけど、逃げるわけにはいかなかったよ。 企業が欲しがる、コミュニケーション能力を持つ人。前向きな人。実行力のある人。私はそんな人ではないのに、それでもそんな人っぽい仮の自分をとりあえず作成して面接やらグループディスカッションに臨む。 私の希望は、せめて、最低ラインの「普通」になることだった。 私にとっての最低ラインの「普通」は、 『大学を出たら無職とかフリーターとかにならずにとりあえず正社員としてなんでもいいからどこかの会社に入ること』 それだけ。 それすら、かなえられるかどうか本当に最後まで自信がなかった。
正直、就職活動中のことに関しては あまり思い返したくないというか。 今でも、あの頃の自分が嫌いだし 直視したくないという感情があるように思う。
仕事をしてからのほうが 大変だったんだけどね。
心の底から笑うことができない自分が寂しかった。 おいしいものを食べてもおいしいと感じることができなくて悲しかった。 鈍感に、何も感じないようになりたいと願ったのは自分なのに そうなってしまったことが切なかった。 どうすればいいのか、わからなくて、 あまりに果てしなく思えて ただ、立ちすくんでいたように思う。
それでも 今はあの頃頑張っていた自分のことが好きだと思う。 自分が好き、なんて、なんか気持ち悪いけど。 自己嫌悪のかたまりのようだった。出口がどこにあるのか見えなかった。 吐き出すことはできなかった。弱音を吐くことも。 視野が狭い自分。 いろんなものを抱えているつもりになっていた。 自分だけが大変なわけではなく 人それぞれ、みんな大変なことなんていっぱいあるだろうと、思う。 わかっていても、 それでも、自分が一番辛いような気持ちになって そんな弱い自分が嫌いだった。 今は、時間が経過して、やっと その頃の自分のことが好きだって思えるようになったよ。
2年目の12月だったかなぁ。 仕事帰り。電車に乗って、座った途端 涙があふれだして止まらなかった。嗚咽するでもなく。ただ、しずかにぼろぼろとめどなくこぼれ落ちた。理由は自分でもわからなかった。その日、いやな事があったとか、何か特別なことがあったわけじゃなかった。ただ、涙が止まらなかった。いっそのこと、壊れてしまいたかった。そうすれば強制終了。舞台から降りられる。でも、わたしは壊れてしまえるほど脆くはなかったみたいだ。 なぜ泣いたのか今でもわからない。 まわりの人はきっとびっくりしただろうなぁ。 20分くらいで目的の駅に着いて、私は立ち上がって普通に歩き出した。 何事もなかったような顔をして。 (いや、多分顔は化粧が落ちてひどいことになってたと思うけど・・・)
そんな話を、誰かに話したことはない。 ほんとうは、あの時、会社を辞めてもよかったのかもしれない。 でもあの頃のわたしは、辞めようとは思わなかった。
会社に入ったころは、 とにかく数字を上げなきゃいけないと呪文のように言われ続け 数字を上げられるようになればきっと楽になるんだろうと思っていたけど 数字を上げられるようになってからのほうが 大変だったかな。 長く果てしない道がずっと続いていて、 立ち止まることはできなかったよ。
辞めようと思って、辞められなかったことなんかもあったりしたけど 結局4年目の12月末で終了。 今思えば随分短い間の出来事でしかない。 それでも、女の子のほとんどが1〜2年以内に辞めるような会社だったから わたしはかなり社歴の長い部類に入っていたけど。
数字の目標は半年毎に設定されていて、 まわりの人のことを思うなら、3月末で退職するのが多分正しい。 でもわたしはそうしなかった。できなかった。 そこまでの正義感は持ち合わせていなかったし、別にいい人だと思われたくもなかった。そこまでしたいと思うような上司もいなかった。何人かの、お世話になった先輩や仲の良かった同僚には、ちょっと申し訳ないなという気持ちはあったものの。そんなものに引き摺られて退職を延ばそうと思えるほどわたしは優しい人ではないし。 誰が抜けたって、会社は何の支障もなく変わらずに動いていくところだから大丈夫。引き止められても、そう答えた。 一番の理由は、もう限界だって思っていたから。もし3月まで続けたくっても多分無理だったと思う。
12月で辞めるって決めたのは夏ごろ。 それでやっと楽になった。
うれしかったこと。
わたしは最後まで今まで通り仕事をしていたのだけれど。 それを見ていた、わたしと同い年だけど2年先輩の女の子から 「今まで辞めた人、たくさん見てきたけど、 辞めるって決まってたら最後の1ヶ月はみんななんにもしなかったよ。 だって、もう成績とかボーナスとか関係ないもん。 真理ちゃんみたいに最後まで頑張る人、初めて見たよ。」 って、言われたこと。 そのことが一番、うれしかった。 そんな風に言ってくれる人がいるとは思わなかった。 たったそれだけのことで、いままでいやだったこと、辛かったことが 薄れていくような気持ちになったよ。
誰かにわかって欲しいなんて思ってない、って そう、思ってたはずなのに、ね。
12月末で辞めますって 上に伝えたのは10月下旬。 予想通り、いろんなかたちで説得もされたけれど もう気持ちが固まっていたので動じることはなかった。 そりゃ、上の人達にしたら 部署の業績が自分の評価に直結するわけだから 成績を上げられる人間に抜けられるのは避けたいところだろうよ。 でも、わたしには関係ないよ。
一番しつこかった人は 何度も業務中に私を呼び出してはあれこれ説得したりなだめたりしてきたけど、これが話長くて、関係ないことまで長時間。仕事の邪魔なんですけど・・・。その人はいつも自分の話とか同じ部署の社員のこととか悪口とか、とにかくずーっと話しているかなり迷惑な人だったんだけどね。私は聞き役になることが多かったので疲れた。 で、何度目かの説得の際も、案の定私の退職とは全然関係ないことに話が脱線してゆき、同じ課の2人の男性社員の話になった。
A−営業成績は上げられるけど性格がゆがんでいて人を見下すところがあって、男にも女にも嫌われている人。 B−仕事も失敗ばかりで性格もかなり問題があって、見た目もキモいので特に女の子に嫌われている。男には、Aほどは嫌われていない。少なくとも、仲の良い同僚はいたと思う。
まぁ、どちらも問題のある社員ではあるんだけど、 その2人のことを、その上司は 「父親がいないからあんなだめな人間になったんだ」って言ったんですよね。
Aは、大学生のとき(20歳)父親が急死していて。そのことはわたしも知っていた。以前同じ部署で一緒に仕事をしていたことがあって、基本的にわたしはどこでも聞き役なので、多分話しやすかったんだと思う。だから、そんな話を聞いたことがあった。 Bは、小さいころ両親が離婚して、その後母親が再婚して、血縁関係のない父親と一緒に暮らしてきたらしい。わたしはそのときの上司の話で初めて知ったんだけど。そもそも、人の個人情報をべらべらしゃべるのってどうなのかね・・・。
わたしは、その父親がいないからだめなんだという言葉に、 なんて返していいのかわからなかった。 なんて返したのか憶えてないや。
「わたしも6歳のときに父親が亡くなって、その後母親が再婚したから一緒ですね。」って、 にっこり笑って答えてあげればよかったかな。
まぁそんなことは言わなかったけど。 ただ、 その上司には、小さい子供が2人いるんだけどね。 今自分が死んだら、自分の子供も「父親がいない子」になる。 そういう想像力はないのね。
そっかー、そういう考え方の人もいるんだな。と、思った。
Aは、確かにいろいろと性格に問題があって(わたしが言うのもなんですけど)一緒に仕事をしていたときはわたしもなんどもいやな事があったし、怒ったりもした。いまでも思い出すと腹が立つこともある。 それでも、彼の数少ない(笑)いいところのひとつは、 家族のことをとても大切に思っている、ってところだと思う。 亡くなったお父さんの話をしているときとか、 実家にいるお母さんやお兄さん、東京にいる妹さん、の話をするとき 家族のことが好きなんだなぁ、というのが伝わってきた。
Bのことは、一緒に仕事をしたことがないからあまり知らないし、 見た目は気持ち悪いけど(笑)それでも悪い人ではないように思えた。なんかいつも失敗して怒られてるとか、一緒に仕事をしたことがある人からは悪口しかきかなかったけど、わたしが直接見たわけじゃないからね・・・。 あと、いつも明るくてへらへら笑ってる人、という感じ。 (そこがまた上司の反感買うんだろうけど・・・) 小さいころ悲しいことがあったとしても、 その悲しさを表に出さないように、いつも笑っていたのかもしれない。 小さいころから、大人になってもずっと。 そうやって笑っていられる人はわたしは好きですよ。 まぁ、単にバカなだけかもしれないけどねー。
わたしは、12月で辞めることをもう決めていたし 誰に何を言われようと変える気持ちはなかったけど、 もし、例えあのとき少しでも迷っている気持ちがあったとしても その気持ちは消えていただろうな、と思う。 あの上司のために、あの上司の業績や評価のために、 がんばろうとは思えなかっただろうから。 わたしはとても小さい人間です。 感情でしか動けないんだよ。
営業成績が未達になって、 あの上司の評価も下げられて、なんなら降格になっちゃえばいーよ くらいに思ったしね!(笑) 小さいよね。
想像力のない人間は、人の上に立つのは難しいと思う。 あの上司が、昇格しないことを今でもひそかに願っている小さなわたし。
同じ部署には、他にも ご両親が離婚している人もいたし 自身が離婚して、子供を育てている人もいた。 半年前くらいに他の部署に異動しちゃったけど、幼いころ父親を亡くしている人も、他にもいた。 20代〜30代くらいにもなれば、 そんな境遇の人は別にめずらしいことではない、と思う。 上司にとっては わたしは「違う」と思ったから、そんな話をしたんだろうな。 わたしは自分のことをあまり話さないからね。
自分のことを話せる人がいないけど でもきっと誰かに聞いて欲しいって、思ってるから こうやって日記に書いているわけですが。
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