日記
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2006年07月18日(火) 重い

子供の頃は、
きっと大人になれば変われると思いながらも
一方で、私は永遠に大人になんかなれないんじゃないかと
思っていた。
「大人になる」ということに
現実味が感じられなかった。
それでも、自分ではどうしようもない痛みや、苦しい気持ちを
忘れることが出来るなら
仕事や、現実を「生きる」という忙しさに流されて
忘れてしまえるなら
それならそれでいいかな、と思った。
大人になるというのはいろんな意味があるけれど、
その中の項目のひとつが「痛みを忘れる」ことや「感傷的にならない」という
ことであればそれならそれでいいと思った。
でも、現実
大人だって痛みは感じる。
そして、私はあいかわらず感傷的だ。
というか、感傷的過ぎる。

誰も、自分が理想としていたような「大人」にはなれないのかもしれないし、
そんな当たり前のことはわかっているつもり。

朝になるまで眠れないことが時々ある。
仕事をしていたときは、そんなことはほとんどなかったんだけど。
次の日、仕事するために、何があっても眠ること。
次の日の仕事に支障をきたさない様に、と。
社会人として当たり前のことはちゃんとできていた。
実際、身体が疲れているから頭が何か考えていても身体は猛烈に睡眠を欲するわけで。意識しなくても余程のことが無きゃ眠れる。
つまり、今の私は疲れてないからだめなのね・・・。
早く、仕事をした方が良いってことなのかな。

余計なことを考えなくてもいい程度に
仕事で疲れて毎日忙しく過ごしていく方が
私にとっては健全なのかもしれない。

半年以上のんびり過ごしてしまったので、
体力や気力が付いていけるのか少々心配ではあるのだけど。
まぁ、そんなにやわじゃないことは自分ではわかってるつもり。


自分のまわりに
ゆっくりと静かにつもってゆく澱のなかに埋もれて
いつか死んでしまうような気がした。
でも、多分私は死ねないんだろう。
ただ、息が苦しくて
動けなくて、
そんな中でも何にも無かったふりをして
強いふりをして、生きていくしかないんだろうな。


自分の弱いところを、誰かに見せられるような
そんな人になりたいと、時々思う。
みっともなくても、情けなくても、子供っぽくても、
そんな風に出来る人が
ほんとは「強い」ひとなんじゃないかな、と思う。
でも、一生かかっても私にはできそうにない。
だから、かわりに日記でも書いて
少しは楽になるならそれでもう十分。




yuri |MAIL

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