| 2003年07月21日(月) |
軟禁たますだれ。(違) |
10日から20日まで、K府U市に滞在してました。 と、言っても観光ではありませぬ。 会社の研修で一種、隔離された生活を送っていました。 一応、会社の研修の一環でそこに滞在していたのですが、 なんつーかまーぶっちゃけ、 研修というより、合宿みたいなものでした。
あのたまたま、これ読んでる方で 関係者の方がいたら申し訳ないんですけど。
平たく言ってしまえば。 とある、大手の宗教法人の合宿です。 そこで、10日間にわたり、 そこが出版している本をテキストにして抗議を受け、 一日中そこの教義漬けになっていたわけですよ。
以前から私の日記を読んでいる方は ちょくちょく眼にされていると思うんですが、 私の勤めている会社全体がほぼそこの信者さんで構成されているんですよ。 別にそれはぜんぜんかまわなかったんですが。 今までは現場の男性、それも結構勤務年数の経った方ばかりが 派遣されていたんです。
が。
昨年末に先代が急逝し、新社長の体制になった途端。 異常なまでに社外教育に派遣する回数が増えまして。 はっきりいってそれは、 現場や事務に軽く混乱をきたすほどの勢いでした。 それを気に若手、および今まで免除されていた事務の女子までもが そこが主催する合宿に参加することを余儀なくされてしまいました。
それで女子の参加の特攻つうか、 皮切りになったのが私でした。(涙)
もー、…濃ゆかった…。 まず、現場に着いた途端に、場違いなところに来たなー…と 眼がテンになりましたよ。 だって。 60、70歳代のおばあさまが。 そして中高年のおじさまが。 うろうろしてるんです。 一瞬老人ホームに来たかと思いましたよ。
でもそれだけじゃ私の驚きは収まりませんでした。 朝は4時45分にカッコウワルツたたき起こされ、 その15分後には瞑想。(ちなみに一時間…) 15分間の掃除のBGMはなぜか 某有名SF映画のテーマソングに、キャッツのメモリー。(何故!!) 随時館内に妙な聖歌は流れるわ、聖典と称した本の数々。 朝、7時半から始まる講義は、 テキストのない人のために、職員が売り歩き。 休憩を挟んで行われる、笑いの練習。 講義はその団体の教義を中心に行われ、 そこから先祖供養や水子の供養、にまで話が及びます。 (というか、ほぼ半分はこの話に費やされたような…) 夜、9時30分まで連日行われる講義に加え、 10日間の間に、先祖供養祭、水子供養祭 (後ろで人が変な呻き声を上げて倒れて、痙攣していた。←感応したか、寄ってきたか。)、 稲荷神社の月次(つきなみ)祭、 献労と称する清掃活動、写経 (と、言っても写すのは仏教などのお経ではなく、 その団体の経典を写経する)、 笑いの大会(練習の集大成として。)、 などなど、盛りだくさんです。
信者ではない私にとって最初はかなり苦痛でしたが、 講義の内容などは、そこの教義中心ではありましたが、 神道、仏教、キリスト教、イスラム教など、はては心理学の 思想や用語、考え方を交えて展開されるので、 なかなかに興味深いものでした。 ただ最後の2日間くらいは、 さすがに勧誘が混じってきたからうんざりしましたが。 (会員になりましょう、とか普及誌をとりましょうとか、 年代別の組織に入りましょうとか…。 強制じゃなかったからいいんですけど。)
最初の3日間は全然やる気なかったですね。 寝泊りする部屋で延々寝ていたこともありました。 (日頃の睡眠不足をここで解消・笑) ただ3日目の夜におじから 「スパイして来い」と密命(爆笑)を受けたことと、 (おじは神道の神官で、知識向上とさまざまな宗教の勉強、 さらにぼこぼこに凹んでいた私を励ますためにこのような 冗談を言ってくれたんだと思います。) そこで働いているYさんという女性、そして同じように合宿に参加していた 16才のMちゃんという女の子と、車椅子の男性のお陰で、 20日までなんとか乗り切れました。
そこにいらっしゃる方は大なり小なり、 過去、また現在に至るまで悩みや問題を抱えた人がほとんどでした。 具体的には、 家庭不調和、家庭内暴力、ギャンブル依存、てんかん、鬱病、 ひきこもり、癌、覚せい剤後遺症、分裂症、いじめ、リストカット、など。 どれもその人だけでは克服できない、 またその人ひとりが原因ではないものばかりです。 YさんもMちゃんもそんな悩みを持ち、 今も戦っている人たちでした。 彼女達は大変暖かく、優しく、明るかったです。 最後まで名前がわからなかった車椅子の男性は、 ちゃんとお話したことがなかったけれども、 (私の言っていることはどれほどのレベルで理解していたかは不明ですが、 彼は私の言っていることに対して「うー」「あー」と声をあげ、 笑い、反応はちゃんとしてくれました。 彼は手足の筋組織が未発達なうえ硬直しており、 明らかに自分ひとりでは日常生活を送ることは不可能な方でした。 それゆえ、常に彼のお母さんが付き添いで何もかも介助し、 常に車椅子に乗っていました。) 眼が合えば、微笑みかけてくれました。
その人たちにとってココは恐らくすばらしいところ、 希望の光のある場所なのでしょう。
けれど、私から見れば、 そこは大変良いところですが、長く居てはいけないところだと感じました。 簡単です。 そこが隔離された、いわば恵まれすぎた場所だからです。 そこにだって人間関係があるので、 聞いたところ多少の摩擦はあるそうですが、 皆さん仲良くやっているそうです。 けれど、そこを卒業して外へ出て。 無事社会復帰して、適応していける人は決して多いとはいえない、と 聞きました。 そして再び戻ってきてしまうそうです。
刑務所を出た囚人が、社会に適応できずに再び犯罪を犯し、 刑務所に戻ってくるように。
そこは刑務所ではありませんし、 この例えはそこの方たちを侮辱していると取られてしまっても 仕方がないことですが。 この例えの根底にある問題は、先に述べたことに流れる問題と 全く同じものです。 その方たちは真に、問題を解決できたか言えば、 私にはそうとは思えません。
ただ。 そこがあったから、助かった。 いきてこれた、という人がいることは、 目の前を見れば明らかでした。 そして、眼を輝かせてそこにいる人たちが要る限り、 それは救いであり、唯一絶対の真実であることには間違いないのだと 考えます。
何はともあれ、 この10日間は賛成、反対、不満、満足、 さまざな感情をごった煮にして缶詰にしたような日々でした。
でも、そこは私に必要ないものです。
だから。 2度とそこへは行かないと思います。 もし、必要なら再びめぐってくるはずですから。
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