貞子。(早矢花)のきまぐれ日誌

2003年02月17日(月) 泣くに泣けず。

友人の方丈が日記で「泣きやすい」ことについて書いていて、
それを読んで正直いうとうらやましいなぁと思いました。

彼女は体が泣くということは、
心も揺さぶられている、と言っていますが、
それは彼女の中に揺さぶられる「何か」があってのことが
前提だと私は思うのです。
それが何かは私はわかりませんが、
プライドだったり、価値観だったり、
こだわりだったり、いわゆる「自分」という確固たるものであろうとは考えられます。

それが琴線に触れて揺さぶられるというならば、
悲しい、悔しい、という以外にも
嬉しい打とか感動するだとか心情の変化もまた
「泣く」という表面的な変化と密接な関係にあるといえるのは
誰もが考えられることでしょう。

彼女が「よく泣く」人間というのならば、
私は「全く泣かない」という言葉がぴったり当てはまる人間です。

私ははっきり言ってあまり情動の変化があまり豊かではありません。
勿論笑ったり怒ったりもしますが、
あまりそれを表に出すことをよしとしません。
この日記にもたびたびにおわすような文や表現が出てきますが、
私は特に「泣く」という行為に嫌悪感に近い感情を持っています。
それは恐らく自分の心情や情動の変化を露骨に表面化して他人に直接見せることで自分の本音や弱さを主観的にも客観的にも認めたくない、
もしくは正面と向き合いたくない、という心の現われかと思います。
また人が泣いているのをみて媚を売っているとか点数稼ぎだとかも思ってしまって気持ち悪くなったり非常に排他的、攻撃的な心情になることもしばしばあります。
これも一種の虚勢かと。
単に冷血である、ともいえない節もありますが、
得てして私の場合は泣くことで自分が弱い人間だと思われたくない、思いたくないという思いのほうが強いようです。

私だって幼児期の頃はよく泣きました。
泣けばどうにかなるくらいの勢いで泣いていました。
自分の思い通りにならなくてわがままで泣いていたこともありました。
自分は正しいことをしているのに、
おせっかいといじめられて暴力に屈して泣いたこともあります。
悔しくて泣いたこともあります。
気持ち悪いとか暗いとかいわれて容姿をバカにされて陰口を叩かれて泣いたこともあります。
けれど、そうして泣いていてもどうにもならないことに
ある日ぼんやりとですが徐々に考えるようになりました。

だから私はだんだん泣かなくなりました。
何を言われても平気な顔をしていられるようにと表情を一切崩さないようにしました。
面白いことを聞いてみんなが笑っていても一人絶対笑顔を作らないようにした時もありました。
何を言われても揺さぶられないように、素通りさせていくうちに、
私は随分とひねくれた冷たい観点を持つ人間になったようです。

それが強いかどうかなんて知りませんが、
いまの私を見る限り、あまりよいことではなかったなぁと思います。
そうやって閉ざしてしまっていた分、
どうやって開けたり見せたりしてよいかその方法や具合がわからず、
ひどく「幼稚」といえる人との接し方しか出来なくなりました。

…まぁ、それは置いといて。

去年末に方丈と時間を共にすることがあったのですが、
たまたま年末のスペシャルで人気アイドルが出ているオムニバス形式の
ドラマを一緒に見ていた時のことです。
三毛猫ホー●ズのドラマ化だったんですが、
最後のシーンで実はヒロインの友人が殺人の真犯人で
ヒロインを落としいれようとしていた、というシーンでした。
自分が友人を追い詰めて苦しめていた、と自分が死ねば彼女が楽になる、
という罪滅ぼし的なある意味ありきたりなパターンのシーンでしたが、
私はそれを「ありきたり」「ありがち」「クサイ」「気持ち悪い」
「安っぽい三文芝居」という冷めたひねくれた気持ちで見ていました。
ところが横を見ると、方丈がぽろぽろ泣いていて。
くさくても安っぽくても泣ける、という彼女の姿に
なんともいえない気まずさと、
素直に心を動かせて感動できて涙を流せる彼女が羨ましいと思ったのでした。

ちなみにこんな私でもかつて大泣きしたことがあります。
一番最初に飼った猫が死んだとわかったときです。
あの時は一年くらいずっと不意に思い出しては涙が止まらなくなって
ぼろぼろ泣いていたことがたびたびありました。

今はもう、泣かないけど、
やっぱり「泣く」ことが出来るということは
良いことだと思うのです。

私がそれを嫌悪していることは別にして。


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