| 2026年05月17日(日) |
Preparation |
1981年、福岡に産まれる。 1988年に小学校。その同級生の息子を教える歳に。 1994年、アメリカの空気を吸う。 2000年、福岡の大学へ。カナダへ。 2004年、後回しにしていた「大人への道」を歩み始める。 2007年、名古屋への大人チャレンジ第二弾。中国へ。 2011年、震災と鹿児島への再チャレンジ。 2014年、遅れてきた2回目の青春を奪取私にシンガポールへ。 2016年、帰国し鹿児島への再再チャレンジ。 2017年、マラウイへ。大人チャレンジ第三弾。 2018年、結婚と長女誕生。 2020年、変われない自分とコロナダブルパンチ始まる。 2022年、長男誕生。停滞の時代。 2024年、コロナ解除も物価高。全国大会や教え子との再会。 2025年、入学入園復職ラッシュ。胃腸関係で入院。でも再会もあり。 2026年、主任イヤーはどんなことがおきるのか
■こんな心配は 杞憂であることを望むけれども、
おおむね一世代に一度、 ないし数世代に一度、
定期的に訪れる、
「世の中の、ちゃぶ台返し」
がどうやら生きているうちに 訪れそうな予感がビンビンしています。
■こうした変化が生じる可能性は、
(私(鮒谷)も含めて)
経験がなければ 低く見積られがちのよう。
■そんなバイアスにとらわれず、
歴史に学び、いま、想定外の (でも長い歴史から見れば想定内の)
非常事態が起きたらどうなるか、
起こり得る状況に基づいた シミュレーションを重ね、
準備しておくべきでしょう。
■歴史は韻を踏むと言われる通り、
きれいな形で 韻を踏むかどうかはともかく、
(おそらく、そこまで分かりやすい形では 訪れない)
少なくとも今の時代から考えると 信じられないようなことが、
何百年、何千年の時間軸で捉え直すと 幾度も繰り返されてきたわけで、
希望的観測を取り除き、 冷厳たる現実の世界に思いを致すと、
おそらくこれからも繰り返し 起きるであろうことを前提に生きる方が、
理知的であり、合理的な生き方では ないかと考えています。
■個人的には、もう、 ほとんど猶予はないと思っているし、
悠長なことを言ってはいられないと 思っています。
こんなときこそ焦って焦らず、 地に足つけつつ、
とはいえ、 急ぐ気持ちも持ちつつ、
あれやこれやに 取り組んでいるところです。
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