【平成進化論より再掲】
コンテンツの複製ならびに配信のコストが 劇的に下がり、
逆説的に、それゆえ、
生身の人間との接触機会が 大きな価値を持つようになった現在のように
(たとえば、コンサートや握手会の盛況など まさにそうですね)
今後、人工知能が生み出す、 高い品質のアウトプットが発信されてくる、
という時代が訪れたとき、
かえって人間味が評価されるようになるのでは ないでしょうか。
■そんな時代になるからこそ、 これまた逆説的に、ぐるっと一周回って、
克己や精進、自制、自律といった、
いわゆる人間らしい徳目を大切にする人の 復権が図られるのではないか
(=評価されるようになるのではないか)
そのような気がしているのです。
これはあくまで勝手な仮説に過ぎませんが。
■あるいは、それだけだと
「単なるお堅い人間」
になるかもしれませんが、
そうした面に加えて、抜けたところや、 洒脱なところ、
あるいは逸脱したところなども 併せ持った
【人間味を感じさせられる存在】
が評価されるようになるのかもしれません。
(中略)
■当人そのものの魅力を磨く努力をしなくても、
生身の人間が安易に人工知能に乗っかり、 発信できるようになる時代になるほど、
人とリアルに向き合ったときに ごまかしきれない
【陶冶】【精進】【修身】【寛容】 【節制】【謙虚】【謙譲】
などといった、
強靭な精神性を要求される、身体性を伴った 言葉がかえって見直されるような気もしています
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