家族進化論
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2017年03月10日(金) Ramble

(Ramble TRICERATOPSより引用)
天に祈りながら君を手に入れられる様な方法を聞いた
僕はまるで違う国に住んでいる様な君が欲しいのさ

それがもしも今夜 叶うなら僕は
この壁を粉々に壊せる

黒にも白にも染まらない この心はずっとここにあった
あらゆる波さえかわして歩き続ける為 僕はいるのさ

ねぇ ちょっとだけ僕の顔を見てくれるかい?
今夜はやっぱり君が欲しいんだ

(平成進化論より引用)
■言葉を替えれば、

 「人生、数時間、数日、数週間、数ヶ月程度で
  変わるはずがない」

 という信念を心の中に打ち立てること。


 そして毎日、


 高い目標を掲げ、反芻し、持ち続け、

 積み重なることをやっていこう、

 そんな継続習慣を身につけよう、


 という意識に切り替えること。


■たいして長く生きてきたわけでもありませんが、
 それでも、ふとした拍子に思い出す

 「懐かしい時代」

 があります。

 とくに、その頃、流行っていた曲なんかを
 街なかで耳にしたときとか。



■不思議なことに懐かしさを感じるのは

 恵まれていた時代ではなく、むしろ、


 「とてつもなく、不安だった時代」

 「とてつもなく、焦りを覚えていた時代」

 「とてつもなく、貧乏だった時代」

 「まったく自分の時間を持てなかった時代」

 「人間関係に悩まされ、疲弊しきっていた時代」


 なのです。



■そのときのことを思い出すと、

 あまりの圧迫感に今でも胸が締め付けられそうに
 なるわけですが、


 不安を紛らわせようと、

 焦りから逃れようと、

 窮乏生活から抜け出そうと、

 睡眠時間を極限まで削り、

 コミュニケーションについて学び、


 そうしたあれこれが今につながっている
 と思えるからこそ、ふとした拍子に、

 ギリギリまで追い詰められ、なんとかしようと
 もがいていた時代が懐かしく思い起こされるのです。



■そのときには、
 辛くて苦しくてたまらなかったわけですが、

 このときの試行錯誤や四苦八苦がなければ
 今の自分はありえない、

 ということだけは間違いなく言えます。


 だからこそ、

 「苦しくも懐かしい時代」

 として、時折、回想されるのでしょう。



■もちろん(?)

 もう一度、あれをやれ、と言われても
 二度としたくはありませんが、

 あの数年間なくして、間違いなく、

 「大気圏」

 を突破することはできませんでした。


 そんなことを考えると、

 何が幸せで、何が不幸せなのか、

 分からなくもなるものです。



■さんざん苦しんできたからこそ、
 そこから抜け出せた喜びが倍加され、

 さらには今に至るまで、こんこんと湧きあがる
 喜びや感謝の念となって現れているのですから、

 「不幸こそが幸せの源」

 のようにも思われます。



■繰り返しになりますが、

 「あんな過酷な生活は、二度と送りたくない」

 というのが本当のところですが、


 「あれがあったからこその、
  今の、深いところから生まれる喜び」

 もあるわけで、


 だとすれば、

 (勇を振るって)

 もう一度、自分を極限まで追い込めば、

 さらに深いところから湧き出づる幸福感を
 感じられるのではないか、

 という

 「危険な妄想」

 も生まれてくるのです(汗)

 (これもある種の中毒なのでしょう)

■これは

 「数年経てば、人生はまるで別物になる」

 という強固な信念を持つことと同義です。

 そして実際、これが真実です。


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