(Ramble TRICERATOPSより引用) 天に祈りながら君を手に入れられる様な方法を聞いた 僕はまるで違う国に住んでいる様な君が欲しいのさ
それがもしも今夜 叶うなら僕は この壁を粉々に壊せる
黒にも白にも染まらない この心はずっとここにあった あらゆる波さえかわして歩き続ける為 僕はいるのさ
ねぇ ちょっとだけ僕の顔を見てくれるかい? 今夜はやっぱり君が欲しいんだ
(平成進化論より引用) ■言葉を替えれば、
「人生、数時間、数日、数週間、数ヶ月程度で 変わるはずがない」
という信念を心の中に打ち立てること。
そして毎日、
高い目標を掲げ、反芻し、持ち続け、
積み重なることをやっていこう、
そんな継続習慣を身につけよう、
という意識に切り替えること。
■たいして長く生きてきたわけでもありませんが、 それでも、ふとした拍子に思い出す
「懐かしい時代」
があります。
とくに、その頃、流行っていた曲なんかを 街なかで耳にしたときとか。
■不思議なことに懐かしさを感じるのは
恵まれていた時代ではなく、むしろ、
「とてつもなく、不安だった時代」
「とてつもなく、焦りを覚えていた時代」
「とてつもなく、貧乏だった時代」
「まったく自分の時間を持てなかった時代」
「人間関係に悩まされ、疲弊しきっていた時代」
なのです。
■そのときのことを思い出すと、
あまりの圧迫感に今でも胸が締め付けられそうに なるわけですが、
不安を紛らわせようと、
焦りから逃れようと、
窮乏生活から抜け出そうと、
睡眠時間を極限まで削り、
コミュニケーションについて学び、
そうしたあれこれが今につながっている と思えるからこそ、ふとした拍子に、
ギリギリまで追い詰められ、なんとかしようと もがいていた時代が懐かしく思い起こされるのです。
■そのときには、 辛くて苦しくてたまらなかったわけですが、
このときの試行錯誤や四苦八苦がなければ 今の自分はありえない、
ということだけは間違いなく言えます。
だからこそ、
「苦しくも懐かしい時代」
として、時折、回想されるのでしょう。
■もちろん(?)
もう一度、あれをやれ、と言われても 二度としたくはありませんが、
あの数年間なくして、間違いなく、
「大気圏」
を突破することはできませんでした。
そんなことを考えると、
何が幸せで、何が不幸せなのか、
分からなくもなるものです。
■さんざん苦しんできたからこそ、 そこから抜け出せた喜びが倍加され、
さらには今に至るまで、こんこんと湧きあがる 喜びや感謝の念となって現れているのですから、
「不幸こそが幸せの源」
のようにも思われます。
■繰り返しになりますが、
「あんな過酷な生活は、二度と送りたくない」
というのが本当のところですが、
「あれがあったからこその、 今の、深いところから生まれる喜び」
もあるわけで、
だとすれば、
(勇を振るって)
もう一度、自分を極限まで追い込めば、
さらに深いところから湧き出づる幸福感を 感じられるのではないか、
という
「危険な妄想」
も生まれてくるのです(汗)
(これもある種の中毒なのでしょう)
■これは
「数年経てば、人生はまるで別物になる」
という強固な信念を持つことと同義です。
そして実際、これが真実です。
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