| 2015年12月18日(金) |
悲しみを内在させた幸福感 |
■陳腐な言い回しかもしれませんが、
親孝行に端を発する、 上に記したようなサイクルは、
あたかも、
「幸せの永久増幅機関」
と名づけたいくらい、
うまく回り始めると、 心に安定と平穏をもたらしてくれるもの。
■しかし、哀しいかな、
「永久増幅機関」
とは書きましたが、現実は残酷で、
本当のところをいうと、決して
「永久」
ではありえません。
■いうまでもなく、この幸福感は、
父なのか、母なのか、あるいは私なのか、 誰が一番先かは分かりませんが、
いつの日か、一人づつ、順番に、 会食の場から欠けてしまう、
そんな日が必ず来るという、
「哀しみを内在させた幸福感」
なのです。
■だから、
今、両親がいくら元気だからといっても 毎回、
「これが最後の会話になるかもしれない」
という思いで接するわけですし、
父や母と一緒にいるときには、
一瞬一瞬、気を入れて話を聞き、 そして、話をしようと心がけています。
■10代、20代の頃は永遠に一緒にいられる と思っていましたが、
(だから、面倒だとか、鬱陶しいとか 思っていたわけですが)
今は、きっと、みんな口には出さずとも、
「ある種の緊張感を伴う幸福感」
「次の瞬間には失われるかもしれない、 恐怖感を伴った、喜びや楽しさ」
を心の中に感じつつ、 お互いがお互いに接しているのでしょう。
■考えてみれば、
親との関係性のみならず、 人生そのものが、
たとえ今、 いっときの幸せを感じていたとしても、
その幸福感の中に同種の不安や哀しみが 内包されているわけであり、
そう考えると、 以前のメルマガでも書いたことがありますが、
「人生の本質は『哀』の一字に収まり、極まる」
のではないかと思われます。
■だから決して、
「手放しの幸福」
などはありえず、
それゆえ、今のこの一瞬を、大切に慈しみ、 丁寧に、深く、味わいながら、
生きてゆく必要があると思っているのです。
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