もしも、仕事に一身を捧げ、
「なけなしの感受性」
すら失われたら、
それは本末転倒だろう、と思います。
けれども、
こういう時代だから、 油断すると、あっという間に、
心が乾き、パサパサになってしまうことを 恐れます。
■そんなことにならぬよう、
みずみずしい感受性を保ち続けるためにも、
そのための環境を、 自ら責任を持って、整える必要があるわけですし、
それゆえ、
「非効率の世界を愛でたり、楽しむために、 効率化を追求している」
側面も多分にあります。
■そんなわけで、
この一週間くらいの間にも 時間を見つけて、
『いつまでも、いつまでもお元気で ─特攻隊員たちが遺した最後の言葉』
『記憶の川で 塔和子』
『椿の海の記 石牟礼道子』
これらの書籍に触れて、涙しておりました。
■そうした本に触発され、
童謡を久し振りに聞いてみようと思い、 YouTubeの世界に入り込み、
赤とんぼ、大きな古時計 大きな栗の木の下で、おぼろ月夜、 はるがきた、ふるさと、ゆりかごの唄、、
などなどを再生した瞬間、
私が小学生だった頃に、両親がよく童謡をレコードで 聞いていた姿が蘇ってきて、これまた涙、涙、涙。
(といっても、両親は健在、 というか、元気そのものなのですが 笑)
■さらには
グリーングリーン 手のひらを太陽に
とか、もう少し時代の下った合唱曲を見つけてきては、 またまた涙。
ということで、
「泣き続けた一週間」
でした。
でも、泣くのはいいですね。カタルシス。
■仕事を一生懸命行うのは当然のことですが、 ときおりの、
生きている歓び、 生きている哀しみ、 生きている実感、
ゆっくりと、 そんな感情を味わう時間も大切にしたいもの。
このような時間を通して、
「なにげない一瞬」
こそに、人生が凝縮されていることを感じます。
そんな泣き濡れて、生きていることを感受する 一週間を過ごし、
改めて、今、この恵まれた一瞬一瞬を 力強く生きていこうと強く思い、願いました。
お互い、後悔を残さぬ人生にしたいものですね。
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