たまにカフェとかファミレスに入ると、
「世の中、怨嗟の声に満ち溢れているんだなあ」
と思ってしまうことがあります。
(そこにはいない)誰かをデカイ声で罵る声が 聞こえてくることも日常茶飯事です。
それだけストレスのかかる世の中なのでしょう。
■けれども、
関係のない部外者が恨みつらみの声を聞かされるのは、 決して気分の良いものではないし、
それどころか、聞くに堪えない、 とすら思ってしまうのは、
きっと私だけではないはずです。
■でも、考えてみたら、 私もどこかの時点までは
(もう、記憶の彼方に飛んでいってしまいましたが)
「自分に苦痛を与えていると思っている人に 恨みや呪いの言葉を吐き続けていた」
ような記憶もあります。
■しかし、あるとき、
「例外規定を設けず、 一切のそういった言葉を封印しよう」
と決意し、しばらくして気がついたら、
そんなことを言わなくても(そして聞かされなくても) 済むような環境に出ていたのです。
■恨み辛みを外の世界に吐き出したくなっても グッと堪えて、その代わり、
「こんなことを言わずに住む環境に、 一日も早く出よう」
と思い続けたからこそ、 そのような世界に出られたのだと思います。
■世に
「人を呪わば穴二つ」
という言葉がありますが、
怒りの言葉を発し続けているうちに 心の中に憎悪の炎が満ちてきて、
やがて、その感情が行動となって現れたとき、 外の世界に一気に燃え広がり、
取り返しのつかぬ事態が惹起したりもするものです。
■だからこそ、
怒りの言葉を発したくなっても、 決して怒らず、解釈を変えるのが大切、
と怒りに満ち満ちているようにも思われる 時代だからこそ、
改めて思います。
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